トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

「対話」について

2021-12-08 10:04:15 | 日記

ずいぶん前のことになりますが、友人から精神科においてオープンダイアログという取り組みが始まっているので、ぜひ見て欲しいというようなご連絡をいただきました。

正直なところ、オープンダイアログなるものが何なのかわからなかったので、記事やら雑誌を読んでみました。

私の理解は

・精神病をできるかぎり対話をもって治す

というようなことでした。

薬を使わないわけではありません。

 

実践例として見たものは、

「患者さんとそのご家族が、専門家という人たちに囲まれていろんなことを話す」

ということでした。

専門家は医師・心理士・看護師・介護士など様々な人が同席するそうです。

なぜ引き籠ったのか、その時に思うことは何なのか、いろいろな専門家の立場から話が聞けるので、良い、というようなことだったかと思います。

 

これを見て、良き取り組みだなと思った一方で、少し違和感がありました。

何だろうと何度も突き詰め、自分をなだめてみるのですが、どうしても違和感が取り除けないのです。

理由は、私が患者だったら、これは嫌だと思ったからなのです。

 

専門家という人たちにわいわいと囲まれて、何でこんなことになったのかと問われても、きっと口を開くことができないか、もしくは話した内容は取り繕ったもので、結局悲しくなりそうだと思えて仕方がなかったのです。

でも、対話をしたいのだという理念は、素晴らしいと思いました。

 

そこから、「対話」とは何かを探す旅に出ることになりました。

対話とはなんぞや。

対話ってね、そんな簡単な定義でくくれるもんじゃないですよと、思うんです。

医者と患者という1対1の関係で素晴らしい対話が成立していることもあります。

診察室の中だけで陽気に話せる患者さんというのは、間違いなくいらっしゃる。

待合室では固まった顔で、診察室の扉を閉めたら人が変わったように話し始める人。普通にいっぱいいます。

私も、話せる聞ける主治医に出会えて病気を治すんだって思えたし、闘病の他にもリハビリみたいなこととか、体重制限とか、必要なことは頑張れたと思うんです。

別に主治医でなくて、スタッフさんと、という人もいますね。

医師は薬を処方してくれる人。みたいな割り切りをしている患者さんだっていくらもいます。

でも、病院に行くと心が楽になる人だっているわけで。

 

何時間も膝を突き合わせて話すことが、果たして対話に必ずつながるかと言ったらそれも違います。

職場の忘年会や、ご近所さんとの井戸端会議のうち、本気の対話になっているものなんてなかなかお見受けしない。

学校の先生が一言話したことが、その先何年も響く人だっています。

こんな風に5秒で成立しちゃうことだってある。

 

対話について概念が広がりすぎると収集がつかないので、ひとまず。

医療における対話は、患者さんが頑張って治療するんだという意識が芽生えることが目的なのかなと考えました。

薬を飲むことに対する不安があるうちは、治療がうまくいくものもいかないかもしれません。

だからこそ、対話は治療の基本だと思うし、なんなら前提だと思うのです。

 

牢屋にとじこめるしかできなかった、60年前とは格段に変化している精神科医療というものについても知ってほしいとは思いますが。

そもそも、対話は医療における大前提なのだということを実感するにつけ、

オープンダイアログが対話の基本であるとは言えない、というのが私の現時点での結論です。

 

そして、その対話を成立させるためにも、医療者のケアというのが最も重要な課題だと最近は思っています。

医療者だって人間だから、欠陥もあれば脆い部分もある。

私が病気になった後に辛い思いをした際たる理由は、医療者からの心ない言葉の数々や、成立しない会話(一方的な診断名の授与と、放出)によるものが多かったと思うのですが。

それらも医療者に対する不満として捉えるのではなく、彼らもまたどうしようもない現状に目を背けたいだけだったのかな、などと思っています。

自分たちに治せない病状に苦しむ人を、見捨てなければならない自分たちを直視できないからこその言動なのではないかと。

医療過誤やミスを犯したことを認めたくないために出てくる非道な言動を、認めることはできないと言うのは簡単なれど、如何にして是正するかは実はそこにあるのではないかと、そんなことを思いはじめたのです。

 

医療者に対するカウンセリングはあるのか?という問いに対し、私の知る心理士は聞いたことがないと、確かに聞いたことがないと言っていました。

医療における対話の実現には、医療者へのケアから始めるべきなのではないかと。

今、切実に思う次第で、しかし問題が大きすぎてどう行動にうつしたらいいのか分からずにいる、私であります。