病気は私や家族からさまざまなものを奪っていきました。
一方で、いろいろな幸せがそこここに散らばっていることを教えてくれました。
慣れてくると忘れてしまうから、どうもそこらへんは相変わらずなのですけれども、私は幸せを感じることについては結構長けてきたぞ!と思っています。
この間、病院に行った際、
「最近頭痛がどうも重くなって、つらいのですが」
と、かなり控えめに言ったら(適当にあしらわれるのが怖かったので。)
「そうですか。ちょっと触らせてくださいね。」
となり、
「ナニコレ!すごい!」
あはは、みたいになりながら、トリガーポイントを打ってもらいました。久しぶりのトリガーです。
ストレスもあるでしょうしね!みたいによもやま話もしてださるので、笑いながら注射してもらって。(体の中に)石ころがゴロゴロみたいに話しつつ、ストレスもありますよねえ、と話したりして、なんだかありがたい時間をいただきました。
そうかと思えば、娘が学校から可愛らしい工作を続々と持ち帰ってくれます。(学年末ですしね。)
出来栄えはともかく、作品が一発で娘のものとわかる個性的なもので、親としたら可愛くてしかたありません (ザ・親バカ笑)
極め付けが、あまり紙で作ったというシオリとか、謎の切り紙です。
私にプレゼントしようと思って、作ったとか。
早速本の間に挟んだり、壁につるさげたり、本棚の上のわずかなスペースは娘の作品でぎっしり。
いろんな表情で笑ってくれる娘には、元気でいてくれてありがとうと思うにつけ、込み上げてくるものがあります。
夫も最近は私が動けるからとサボり気味かと思いきや、労ってくれます。
家族がとても大切だと気づいたんだそうで。
痛がる私のマッサージも欠かさずしてくれています。
毎日狭い空間でトランプをしたり、坊主めくりをしたり、間違え探しをしたり、風船バレーをしたり。
短くても楽しい時間は確かに毎日あります。
こんなことに気づけたことは、望みが叶えられた、ということだそうです。
願いはどうも叶いませんが、望みは叶えられたと。
しんどい体はどうにもならないし、何か新しいことに挑戦しようと思ってもいまいち結果は出ていませんが。
私が大切にしたかったものは、確かにここにあって、穏やかでもありがたい時間が流れているなと実感しています。
だからこそ、こんな暖かな空間で死にたいなあと思うのですが。
もう少し頑張って生きてくれよーと夫も娘も言って譲らないので、もうしばらくがんばろうと思うにつけ、やっぱり願いは叶わないんだなあと思う私であります。