非常に困った上に辛かったのは、皮膚に起こる炎症でありました。
むくみがひどかったので足の皮膚は伸びきって、つやつや、てかてかしていました。今でも手足で起こる現象ですが、最悪の時は本当に皮膚が薄かったです。
どのくらい薄いかと言うと、オブラートより薄いくらい。
自転車のペダルに引っ掛けて数カ所の切り傷と大出血。
玩具箱の淵に足を引っ掛けただけで、まるで鎌で切ったかのような傷。
大袈裟ではなく、何だこれ?どこでどうしたらこんな傷になるのか?というレベルでありました。
最も最悪だったのは実は去年の春頃から。コロナ禍でした。おそらく病気の進行で症状が顕著になったと考えられます。
春に主人から自転車に乗ることを禁止され、しばらくそれでも乗ろうとしていたものの、ついに筋力まで衰えてきて自転車ごと転倒するという大変危険な状況に陥ったため、ようやく乗ることを諦めました。その間にも、ちょっとよろけて生垣に足をさーっとやったところ、ズボンを着用していたにもかかわらず数カ所の切り傷を作ってしまいました。
その後、歩くことも難しくなり、何でもないところで転んでは大怪我になるという、もう外出することに恐怖しか感じない状況にまで至りました。原因はS3PEの悪化と、おそらく甲状腺機能の低下です。はっきりとわかってはいません。
話をもう少し具体的なところでします。重複しますけれども。
最初のきっかけは、筋力の衰えとむくみによる関節のぐらつきから、室内でちょっとよろけて玩具箱の角にぶつかったことです。
「あ、いたた、ははは」
くらいに思って、適当にやり過ごしていました。しかし何か、思ったより痛い気がするのでズボンをたくし上げるとしっかりと出血していました。出血といっても、血が滲む程度ではないのです。滴り落ちて、靴下を汚しているのです。
え?この程度ひっかけただけで?
薄くなった皮膚はあっさりと剥け、すぐ下にある組織を傷つけていました。
桃の皮を剥くようなイメージをしていただければわかりやすいかと思います。ちょっと引っ掛けただけなので、通常であれば白い線が入って乾燥しているような雰囲気、もしくは無傷、程度の軽い接触でした。どういうことだろう、何なのだろう、と驚く一方で、深く考えてはいけないと、こういうものだと思い込もうとして、消毒と絆創膏だけ施して普通に生活していました。
朝、晩も消毒と絆創膏を変え、薬を塗ったのですが、何と言っても傷の治りが悪い私。変わらないキズの状態にいろんなことがだんだん面倒になってきます。処置も多少雑だったかもしれません。
一向に変化がないなと思った5日後くらいに、絆創膏をめくったところ真っ白くなっていました。明らかに膿んでいます。
えー、なんなんだよー。楽観的な私も、さすがにちょっとだけ焦りました。どうしたものか。大体、私は一体どういう体なのか。疑問に思いつつもぼーっと受け入れ、淡々と処置をしました。そのほかにもいくつか水疱ができたりして、破ってみたり、謎の傷が出現してみたりと傷は増えていました。実は結構ひどいかも?
主人には専門でもなければ得意でもないとはいえ、見せてはいました。処置もしてくれたりしていました。
ところがその日は大袈裟にもこう言うのです。
「げー!何だこれ、やばいよ。炎症がおきてる。しっかり洗わないと。」
「え!しっかり洗うってなによ!」
「たわしでゴシゴシ・・・」
は?
皮下の組織が露出して、ジュクジュクしてるんですよ、触るだけでも充分痛いのです。正気な提案ではないと信じたいですよね、積年の恨みを込めた冗談だと信じたい。
「からし塗る方がまだマシだよ。なんで「たわし」なんぞでゴシゴシなど!!!!」
しかしまあ、一体全体私はなにをしたというのでしょうか。
前世で、いや、現世だとしても、そこまでのことをしでかしましたでしょうか。
私のなにが悪かったのでしょうか。食生活、生活態度、性格、人間性、、、
全てが悪かったと思い始めました。
誰かを傷つけてきたのか、いやそれはそうに違いないけれど、どう反省してももうダメなほど、私は罪を犯したのか。
こんなに毎日だるくて辛い日々を超えてきた結果がこれなのか。
醜い姿と荒れていく足、そして気だるく機能しない肉体に働かない頭脳。私に課せられた試練は、もはや拷問だと思いました。とんでもない罪を犯したのでしょう。そう思わなければ逆に耐えられる気がしませんでした。
さて、口では「いやだー」と言うものの、流石の私もわかりました。確かにこれは洗った方がいい。
たわしはいやだけど、スポンジとかで何とか洗い流そう。
でも、怖い。痛い。不器用な主人にやられたら、そりゃあもう地獄の閻魔様もドン引きの拷問に違いない状況になります。
うん、自分でやらせてほしい。
シャワーを主人に持ってもらい、さて、はじめましょう。
まず当てるだけで飛び上がらんばかりの激痛。
傷に手を当てて、上からそーっとぬるま湯を流すことで少しずつ慣れさせて、手を外し、そしてここでようやく手で洗うことにしました。手だけではぬるーっとしたものを撫でるに過ぎないので、覚悟を決めてスポンジでゴシゴシ。
「いたいー」と口にすることで、逆に痛みが和らぐと心理学で聞いていたので、思いっきりいたいいたいと言い続けることにしました。
しかし、そんな余裕もすぐに吹っ飛びます。
とにかく、痛い!痛いなんてもんじゃない!
わんわん泣きながら洗いました。いたいよーいたいよーと母親が泣きじゃくる姿を淡々と見る娘。
もうどういう子育てしてるんだろう。
泣きながら頑張りなさいと言ってきたけど、まさにママがそうだと示してる。不本意ながら!
鼻水が出てくるので、娘はティッシュを持ってきてくれました。
主人ですら、もう無言です。
「いたいの?」
と娘が聞くので、
「痛いに決まってるでしょ!」
となぜか主人が語気荒めに答えました。
「そりゃそうだろうけど。」
と娘がしょんぼりと発言すると
「あのねえ、これ、もうそりゃ想像を絶する痛みよ。応援してあげようよ。」
と二人でがんばれー!がんばれーと応援してくれました。ようやく私ももうやだーと本音を吐きながら、そして泣きながら洗い、そしてついにはもう無理とまだ白いものが残る中で終了しました。
主人もよくがんばった、えらいよーと歪んだ顔で言います。娘の方がよほどけろりとした表情で、ママすごいね!と言います。
すごいでしょー、ママがんばったよーと言いながらまた大泣きして、その間に主人が処置をしてくれました。
この傷、この後なんと半年近くもじゅくじゅくしたまま残り続けます。今は完全に色素沈着したものが残っています。
褥瘡みたいなもんだったんですかね。中から液が出るので、ガーゼで吸収するのですが、これを剥がす時がまた割としっかり痛いので、毎日のお風呂が苦痛でした。
慣れっこだろうと思っていたのですが、病院の方々もなぜか絶句しちゃう。病院の定期受診のたびに診ていただくのですが、なかなか良くならないでいました。
リウマチの先生だけが、特段気にする様子もなく、淡々と診てくれました。
「君の傷は生々しいんだよねー」
と言って、いつも先生は専門外なのに私の足を触って処置してくれました。気持ち悪いという顔もせず。百戦錬磨の先生は違うなと思いました 笑
主人が、
「傷の処置代金で万札が飛んだよ!」と笑うほど、ガーゼやらテープやら、ワセリンにキズパワーパッドなり、とにかくいろんなものを試しました。娘も看護師さんになってくれました。
最後に、閲覧注意ですが、当時の私の足の写真です。炎症が広がっている様子も少しおわかりいただけますでしょうか。赤いところは少し熱もありました。抗生物質を飲んで抑える、その繰り返しでした。これでもマシな方です。
今も、私の足には跡が残っているので、見せないようにしています。
私自身はもう痛くないので全く気にならないのですが、驚かせてしまうようなので、そこは気をつけています。
夏になるまでにはもう少し良くなるといいなと思うのですが、それは願いこそすれど期待はしていません。
私にとっても、家族にとっても、頑張ったという誇らしい思い出のひとつです。