St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

万葉「百伝う磐余の池に・・・」の歌、引用

2013-06-13 16:12:31 | Weblog
前回の文献、
(1)「萬葉秀歌(上・下)」(斎藤茂吉氏;岩波)
(2)「万葉集研究(上・下)」(斎藤茂吉氏;岩波)
(3)“The Manyoshu”
(The Nippon Gakujutsu
Shinkokai;
Columbia Univ.Press)
の他、今回から
(4)「万葉秀歌(1)~(5)」(久松潜一氏;講談社)
(5)「万葉集の鑑賞及び其の批評」(島木赤彦氏;講談社)
(6)「万葉集鑑賞事典」(神野志隆光氏編;講談社)
なども引用する。以後、この番号を使う。
全部いい本なので買って読んで頂けることを期待して。


百伝う磐余の池に鳴く鴨を
      今日のみ見てや雲隠りなむ
                  (大津皇子)

百伝 磐余池に鳴鴨乎 
      今日耳見哉 雲隠去牟

Today,taking my last sight
of the mallards
Crying on the pond
of Iware,
Must I vanish 
into the clouds!
             [Ⅲ;416]

Momozutau Iware no ike ni
naku kamo wo kyo nomi miteya.
(3)

「鴨がやってきたのと入れ代わるようにして、我が魂は雲のかなたに天がけるのか・・・磐余の池に鴨の鳴く、眼前の世界は変わらずにあり続けるのに対し」(6)
「この歌に現れているのは死の虔ましさである。虔ましさに徹してはじめて歌の哀れさがあるのである。「今日のみ見てや」の「や」が全体に与うる調子の波動に注意せんことを望む。」(5)
「斯く池の鴨のことを具体的に云ったために却って結句の「雲隠りなむ」が利いて来て、「今日のみ見てや」の主観句に無限の悲響が籠ったのである。」
「歌は有間皇子の御歌等と共に、萬葉集中の傑作の一つである。」(1)
「姿致の高雅な点から云っても、当時の作品中第一線に立つものといへよう。」
「寧ろ一読して感銘するように修行せねばならぬと思って居る。」
「最初、意のきはめて簡明であることから親しみを感じないのであるが、再読して近寄り得ない迫力を思ふのである。」(2)
「それに調べの上でも、母音を用いるとともに、鴨とか雲隠るの如き“か行”音を使って、力強い音とよく調和せしめており、作品として秀れている。」(4)

雑誌、
「角川短歌」「角川俳句」「詩と思想」「現代詩手帖」「シナリオ」
「数理科学」「英語教育」などの最新号を読んでいる他は、
広告の本3冊。
「広告文」(朝日新聞社)
「広告文の歴史」(日本経済新聞社)
(共に鵜月洋氏著)
「文章がうまくなるコピーライターの読書術」
(鈴木康之氏;日本経済新聞社)

印象に残ったのが、鈴木氏のp.229
「第8部読み書きトレーニング自由参加型読書のすすめ」
の“読書のメモぐせ”の「メモ式気のきいた文章の書き方」(鈴木康之氏&多比羅孝氏;明日香出版社)からの氏自身からの引用文。
「  人を食った話
 海老で釣った鯛は、まず、胸を突いて、腹を割り、尻を割り、天塩にかける。口を割ったら、足を洗うのは早いほうがいい。・・・」
慣用句を見事使って大分のレシピ本が出来上がっている。
「これは、必読」と思わず“膝を打つ”。
今度、“鴨料理バージョン”を是非・・・。

写真も福音引用もなし。
音楽は「日本の調べ」。
goo,アメブロ併載。
「酒井香ちゃんのブログ」も宜しく。
+主のお恵みが皆様に。
+主に賛美と感謝。

2013年6月13日
               乗倉寿明記す