St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

東京に行って来ました

2013-06-27 23:30:53 | Weblog
「演技の勉強の為に、
どういう映画を見てきましたか?」
「「バリー・リンドン」です。
主演のライアン・オニールに憧れ、
左利きに努めています。」
「演技の勉強に洋画は駄目、
邦画にしてください。」
演出家の指摘は的確で手厳しい。
レッスン前に3点を仮定する。
セリフが完全に入っていること。
前の晩に演技の勉強の為映画を見ること。
何処に生かされているか、
言わなくても分かるほど演技に反映させること。



毎土曜、仕事を5時に終え、
その足で新宿行きの高速バスに乗り、
着8時。
御茶ノ水のカプセルに一泊。
翌、元フジTV隣接の某プロダクションの
レッスン場に通う。

NHK連ドラで想い出したのではない。
寧ろ小田急、
そっちはマネージャー見習いだ。



俳優と二股で東京に通ってた時代がある。
午後8時に新宿に着いてバスに乗る。
飯田橋で降りる。JRでお茶の水へ。
榎本加奈子の看板が駅に懐かしい時代。

わざわざ、バスの移動を入れた。
そのとき、神楽坂を通った。
午後9時。店は大概締まっている。
夜の東京をそんな形で観光した。
もう、15年?
午前、レッスン。
午後は、マネージャー見習い。
そんな飯事みたいに週末を過ごした。

先日、神楽坂に行く。
入ったファミレスは確かに記憶にある。
その時代か、
さもなければ何時もの予知夢。

詩の会に出席。
20人ほどの詩人の集まり。
みんな、わたしよりずっといい詩を
書いていらっしゃる。
3時間があっという間に過ぎる。
べリべりでなくバリバリの新人となるに、
どれほどの距離があるだろう。



15年隔てて、こんな形で、
東京を訪れようとは思いもしなかった。
ただ、
「バリー」には落ちがあって、
「映画のどこをどう読むか」
(D.リチー;キネマ旬報社)
によると、p.105
“オニールは、うまい俳優ではない。・・・
マリア・べレンスン・・・もまた演技が
できなかった。
この二人の札つきの下手な俳優が・・・“
ただ、こう続く。
“彼は、うまい俳優を望まなかったのだ。
つまり、俳優のうまさが、キュブリック
が望んでいなかった感情移入に類するもの
を生み出すことになるからである。“
“俳優は、監督の意思がなめらかに通る
ように、そのための手段とならなければ
ならなかった。“
“俳優、つまり登場人物に感情移入する
ための観客の力に制限を加えることを望んだ“
“情緒的感情移入のこの明らかな欠如は、
観客の内部にまったく本物の感情の必要
を生み出すことになる。“
“だが、映画には、それ以上に多くの
可能性があり、映画を単純にストーリー
+感動と慣習的に制約することは、
ばかばかしほど無益なことである。“

「実は、演じる側でなく、作る側に
いたいんですが。」
キュブリックが言わせしめたのかも
知れない。
ポツンとそう洩らしてしまった。
そういう練習生は置いておかないだろう。

「バリー」を初めて見たのは、
20才のとき。
池袋の500円位で入れる名画座。
一緒に見た人は、プロデューサー
になりたいと言っていた。
もう、すべて今は昔の話、
わーはっはっは。
(地元のごく一部の人にしか、
このギャグ分からないと思う)



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いろいろなし。「日本の調べ」。
東京と高松祭。
「酒井香ちゃんのブログ」も宜しく。
+主のお恵みが皆様に。

2013年6月27日
             乗倉寿明記す