娘家族
実家の整理をしていたら
次男夫婦
長男
孫たち
みんなで顔を合わせた。
今年からは誰かの家で集まるのではなく
外で会うことになりました。
まあ人数増えたのと京都のうちは手狭ですから。
国見で集まれたらいいのになあとは想いながら
仕事やら学校やらでなかなか休みをすり合わせるのも大変ですね。
それでも笑顔を見ると嬉しくなる。
みんな今年も元気でいてねと想います。
来年はもう少し早めにどこか落ち着いた場所を予約してのんびり会いたいねと話しました。
お正月を少しずらすのもいいかもしれませんね。
次男夫婦の何とも言えないのんびりした仲良しぶりに
あれは似たもの夫婦なのかしらねえ。と娘に言いました。
娘も嬉しそうに笑いました。
骨折していた娘の歩き方を見てましたらだいぶ普通になってましたので
ちょっとホッとしました。
いろんなことが人生起こりますから
それをひとつひとつ乗り越えて明るく過ごせるようにしたいものです。
孫たちの食べる様子を見てるとやっぱり幸せな気持ちになります。
どんなに大きくなっても可愛いものは可愛い。
ついつい笑い顔になりますね。
私のいる国見に行きたいと言ってくれることも嬉しい。
そうねえ。また予定すり合わせましょうね。
母は風邪気味なので会うのはやめておいて
実家の整理をしていたら
アルバムにあった1枚の写真
思わず剥がして持って帰った。
幼い日の私と妹。
可愛くて可愛くて仕方なかった時期。
今日母が
年をとって迷惑ばかりかけて情けない
と言ったので
「はい、お母さん。こんな気持ちのときどう言うの?」
とふりました。
そしたら母は思い出したようににっこり笑ってこっちを見て
「ありがとう。あんた、がんばりや」
そう言いました。
それでいいんです。
それで。
私と妹の事をどんなふうに見てくれていたのかなぁとかそんな事をふと想います。
歳をとれば身体も動きにくくなるし
よく忘れたりするようになります。
そんなものは誰しも通る道なんです。
段々と年を取り
頼りなく歩いたりする母の姿を見ていると
時々涙が出そうになる
私と妹を育てるのは大変だったろうなあと。
特に私は変わり者でしたから
どこに行くかわからない
それこそ予測不能な子どもでした。
妹との写真見てると泣けてきました。
ちょっとくらいしんどい事や色々あったって
大丈夫だよなあ。と、想いました。
妹はきっと今はいっぱいいっぱいなんだろうなあ。
身体壊さないようにしてほしいなあと想いました。
この1枚の写真を剥がして
次に若い頃の父と母の写真も剥がしました。
知らない間にそれを握りしめポケットに入れました。
ありがとうございます
そうつぶやきました。
さてどうしようかと悩んでたら
以前ひょんなことから
府警の刑事さんを通じて知り合った社長さんが
お正月三賀日の3日だと言うのに
不用品の山を見に来てくださった。
そして黙って色々見て
見積もり取ってくださいました。
それが何とも予想よりも安かった。
ああまた、助けて頂いたなあ。
と、想いました。
母が
「お金ばかり使わせるねえ」
と、ふと言うので
私はまた、笑って母に
「そんなときどう言うの?」
と、聞きました。
そしたら母は
また慌てて顔を笑顔にして
「ありがとう。あんた、がんばりや。」
そう言いました。
がんばるよ。
私はがんばるよ。大丈夫だからね。
そう言いました。
私は若い頃から
望んだ進路に行けなかった事や病院に入院ばかりの母のことや家の台所仕事、料理から掃除までしなきゃいけなかったことを
しんどかったな
みんながスキーとか、旅行とか楽しんでた時に全く遊ぶことさえできなかった等と思ってた時期がありました。
つまり不満に思ってました。
ある時その事を真剣に叱ってくれる人がいました。
私はその事を一生忘れないし感謝しています。
そんな些細な若い頃の事など何のこともない。
何もなくても、進路が断念したって
私は元気で生きています。
それこそ奇跡のようなものですね。
その事を真剣に感動して
たとえ遊んだ経験がなければ想像の翼を広げればいいだけだ。
想像の翼はどこまでも無限の世界。
私は想像し創作し表現することができるのですもの。
母に言いました。
「私は財産とかはないかもしれない。でもな、私にはめちゃくちゃ面白くて素晴らしい想像の翼が付いてるねん。お母さん、見えるか?」
母は怪訝な顔をしながら笑いました。
「やっぱりケッタイな子やなあ」
このケッタイな子は
あなたの最高傑作になるよ
と、笑いました。
「夢と希望が吹き上がるみたいな、ケッタイな最高傑作になるんよ。面白いで」
そう言うと母は
「ほんまにアホやなあ」
と、笑いました。
それでいいんです。
この前母に国東の櫛来の母と言ったみっちゃんが、うちの母に言いました。
「お母さん、この子には翼が生えてるのよ❢天使の羽がついてるの。見える?」
涙浮かべてみっちゃんはうちの母に言いました。
「こんな体重の天使がどこにいるっちゃ?」
というと
みっちゃんは私の背中を何度か叩いて笑いました。
京都弁と国東弁が混じりました。
何でかわからないけど泣き笑いしていました。
私はこの地で
愛のこもった微笑みをもたらすような作品作る
そう決意しました。
ポケットに手を入れて
私は古い小さな写真の存在を確かめました。
忘れないよ
と、想いました。
お母さん 心配だけど 大丈夫
何とかなると 思います
古い写真 良い想い出・・・
一歩外に出たら本当に咳込みマスクしない人ばかりが都会ですからね。