生まれ育った場所というものは
特別なものがありますが
永遠ではありません
母が生まれ育った場所は
京都のろーじの奥にあり
祖母の手機の音がしておりましたが
今では3人の芸術家がアトリエに使われています。
以前京都知新という番組で紹介されてました。
外のお地蔵さんもそのまんま。
懐かしかった。
形は残っていてもそこはもう芸術家のアトリエ。
今の国見の私のあとりえもそうです。
そこはきみちゃんたちの育った場所。
そこが今では私のあとりえになりました。
巡ります。
今度は実家を整理。
お正月に
実家の整理をしなくてはならないのは大変ハードではあります。
それでもやるべき事はしなきゃ。
とにかく予定がハードで年末と三賀日しか時間取れず
お墓参りや様々な所用を済ませながらの強行です。
母が昔話をしながらたくさんの着物を見ていました
私のものだけを少し。
私は背が高いので襦袢から着物まで全て背の高い私用になってますし
帯も若干違う仕立て。
それらを取り分けた。
国見に送ろう。
このお家ともそのうちさようならなのだ。
気持ちが立っているのか
一睡も出来ない
眠れない
誰かと話せば少しは眠れるのだろうか。
あくびばかりして眠れないので
眠剤を飲まなきゃならないかなぁ。
国見に戻れば
ぐっすり眠れる事でしょう。
昨日
これは国東半島のおそらく重藤海岸からの初日の出の写真を頂きました。
美しい
時計ばかり見ては過ぎてゆく
こんな日の出を見てみたい。
ちょっとくたびれたのかなあ。
気づいたら朝になってました。
寝なくても平気な自分がいる。