とらたまくろむうこと的生活

4匹の猫たちのぐうたら生活
時々チャイ(フレブル)

浄土宗大本山 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)

2015年02月20日 | 風景
平安神宮の近くなので
そのままぶらぶらと歩いて「くろ谷 金戒光明寺」に行きました。












金戒光明寺は法然上人が草庵を結ばれた地
広い境内にはたくさんのお堂や塔頭寺院が立ち並ぶ立派な寺院です。








現在の埼玉県熊谷市出身の「熊谷直実」が法然の弟子となり出家したところだそうです。
法名は「法力坊 蓮生」










そして
会津藩主松平容保が京都守護職に任命され本陣を構えたのが
この地<金戒光明寺>です。




新選組発祥の地

幕末の京都は暗殺や強奪が日常化し
手のつけようのない状態になっていた。
文久二年(一八六二)に徳川幕府はついに新しい職制を作り京都の治安維持に当たらせることになった。
これが京都守護職である。

文久二年閏八月一日、會津藩主松平容保(かたもり)は江戸城へ登城し
十四代将軍徳川家茂から京都守護職・正四位下に任ぜられた。
役料五万石・金三万両を与えられた。
會津藩は京都守護職に任命されるにあたり幾度か固辞をしたが
藩祖保科正之(三代将軍家光の異母弟)の「家訓(かきん)」に順じて容保が決意したものである。
守護職を拝命するにあたっては、家老の西郷頼母・田中土佐は、「薪を背負って火を防ぐようなもの」と反対するが
容保の意は変わらず家臣も「君臣唯京師の地を以て死所となすべきなり」と
肩を合わせて泣き崩れたという。
これにより君臣一丸となり、會津藩松平容保は家臣一千名を率い
文久二年十二月二十四日午前九時頃京都三条大橋に到着
京都所司代・京都町奉行所の出迎えを受け
本陣となった黒谷金戒光明寺に至るまでの間
威風堂々とした會津正規兵の行軍が一里余りも続いた。
この間、京の町衆も両側に人垣を作り大歓迎するのであった。

NHKの大河ドラマ「八重の桜」をかかさず見ていたので
当時の映像が目に浮かびます


続きはHPをご覧ください。<会津藩と新撰組>























山の上の墓地には会津藩殉難者墓地があります。





気の早い桜が一輪


<浄土宗大本山 くろ谷 金戒光明寺>

会津高郷雷神そば

2015年02月20日 | 福島・鹿児島のおいしいもの
喜多方の知人が
たくさんもらって食べきれないからと「会津高郷雷神そば」を送ってくれました。




2箱で10人前
消費期限は着いた当日16日まで
とても当日中には食べきれないじゃないの



母の友達を呼んで
<にしん蕎麦>をご馳走生蕎麦も持って帰ってもらったが・・・

私は<舞茸の天ぷらを揚げて冷たい蕎麦>にして

母は<たぬき>がいいと


<たぬき>とは甘く煮たお揚げさんを入れた蕎麦のこと
きつねうどんの蕎麦バージョンですね。

そば粉100%のおいしいお蕎麦なんですが
日持ちがしないもので毎日お蕎麦。。。

大好きだからいいけど
3日目には赤茶色に変色してきて



会津は
全国でも有数の蕎麦の産地で
14日、15日と「喜多方そばフェスタ」なるものが開催されたと
送ってきた後で<Micchii>さん(ポチッと)のところで知りました。

会津では
<とりごぼうそば>とか<くるみ鳥そば>とか<きのこそば(冷)>とか
こちらでは見かけない食べ方で
と~っても美味しそう~

現地で食べたらさぞかし美味しいんでしょうね。

お蕎麦は
「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」といいますから。

貴重なお蕎麦をいただけてラッキーでした