心の花束

つれづれなるままに心の中に花束を持ちたい

リスカバリー=発見する

2009-05-04 | 教会
5月3日
礼拝における牧師の説教は「イエスはキリスト」「復活」について。

北九州の高校に編入した時、最初に言葉を交わした友人から教会に誘われて行った
のが、私の教会デビュー。

私の故郷は島原半島の片田舎であって教会の存在さえ知らずに育ったものだから、
教会でのお話はとても受け付けたものではありませんでした。
常に死人が生きがえるだの、
嵐を静めるだのと、もってのほかなんて内心反発ばかりしていました。
それでも、友人の熱意に引きずられ通っていましたが・・。

就職をしてからは教会へ足を運ぶこともありませんでしたのに、
どうしたことか結婚したら姑や義姉は熱心なクリスチャン。
陰で私のことを常に祈っていてくれるです。

当時、生活のこと、姑とのこと、義兄弟のことなどで、
とても心に重荷を感じていました。
ところが、ある日突然に稲妻に打たれたような心が弾ける思いを感じたのです。
その時に感じた心の平安を、牧師は今日の説教の中でひもといてくださいました。

私たちは先入観にとらわれ色眼鏡をかけて物事を見てしまうが、
自分の持っている先入観を捨てて信仰を見直してみると新しい発見がある。
聖書の奇跡も復活も人間の側からではなく神さまだからできることと信ずれば心の中に平安が生ずる。
目に見えないものを信じること、肉体的な死は新しい生命の出発点であることを意味するのが復活であると。

あの時以来、頑なだった心は随分と楽になり、姑の自宅介護を果たし、
天国へ見送ってもう25年を過ぎました。
神さまは信じて祈り求めれば必ず叶えてくださいます。
今では教会に連れて行ってくれた友人に感謝しています。

コメント
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