心の花束

つれづれなるままに心の中に花束を持ちたい

母の日に思うこと

2009-05-12 | 日記
母が昇天してやがて3年になる。
子供たちが私のことを労わってくれるたびに母のことが思い浮かぶ。
長いホーム生活だった。
「貴女がオムツをかえてくれたから今度は私の番だよ。気にしないで」と
言っても、母はいつも嫌がっていた。思えば気恥ずかしかったのだろう。
子供の前では常に毅然としていた。
だから看護婦さんから聞かされる母の行動や言動は信じ難いものがあった。

昨日、偶然にもテレビで介護のことが放映されていた。
老いた親から子供たちへの手紙を歌にしたもの。

私がご飯を服にこぼしても叱らないで
洋服のボタンを掛け違えても、くつの紐を結べなくても・・。
もうすぐ去っていく自分を受け入れて欲しいと・・・・。

母がオムツをかえてくれたこと、こぼしたご飯を拾ってくれたこと、
くつ紐を結んでくれたこと、
お風呂を嫌がったときでも色んなことを話し掛けて入らせてくれたこと。

そんなことが盛り込まれた詩でした。

介護するのは本当に大変です。
姑の介護は若い時でしたので、子供のオムツと一緒でした。
辛くはありませんでした。
実母の時は仕事をしていましたので、申し訳なさが先立ちました。

母が元気な時に一緒に暮らした時がありました。
母が庭先に出て私の帰りを待っています。そして、しきりに話し掛けるのです。
疲れているのに「ウザッタイ」と思ったことがあります。
今、まさに母と同じことをしています。仕事を辞めて夕食の準備が早く済み、
娘の帰りが待ち遠しいのです。
同じことを繰り返している・・・。きっと娘も「ウダッタイ」だろう。反省。

天に召されるまでの時間が穏やかであって欲しいと願う母の日でした。
コメント (2)
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