とよきのかいちょうぶろぐ

てんりきょうとよきぶんきょうかい々ちょうの日々をのこしておこうかな・・・っと。

令和4年2月8日 月次祭準備の日です。

2022-02-08 22:20:58 | 日記
本日は、当教会の月次祭準備の日です。

私は朝から市場へ買い出しにいきます。



市場から戻ってくる頃、餅つきが始まりまして、餅つきが一段落する頃、皆さんがいらして、教会内のそうじをしていただく。
だいたい、そんな流れで準備が進みます。

時節柄、手順等を工夫して、時間の短縮や作業の分割等に心がけていますが、教会に『集まる』ことに気を使う日が来るとは思ってもみませんでした。

そんな中でも、神様に喜んでいただきたいと思ったり、祭典の準備を通して生きる喜びを味わったり、願いに向けた伏せ込みだったりと、色々な方の真実を積み重ねて月次祭を迎えます。
改めて、準備の手順や、おつとめ下さる方々の様子を思い返すと、気持ちが引き締まると同時に、神様はどんだけ喜んで下さるだろう?どんだけ勇んで下さるだろうと期待値が上がります。

令和4年2月7日 神様が喜ぶんじやないかな。

2022-02-07 21:45:43 | 日記


本日は、部内教会の月次祭を参拝させていただきました。
部内の会長さんは、餅を丸めるのが上手で、今月の鏡餅もきれいに出来ていました。
私の親は、月次祭のお供え物、特に鏡餅にとてもこだわっていました。
若い頃、お供え物を思うように用意できないなら、とにかく、お餅をつかしてもらいなさいと言われました。何はなくとも…な感じです。
何故なら…とか、…だから、という話は聞いたことありませんが、とにかくこだわりがあったみたいです。

最近になって考えてみると、餅をつくことを通して、「手間」をかけることに重きをおいていたんじゃないかと思うんです。
当教会の場合、餅つきはすごく手間をかけます。
例えば、餅の形を整えて冷やすために風を当てますが、そこは団扇を使います。
扇風機なら、手軽だし、均一に冷やすことが出来るのですが、何人もの人が、ぐるりと餅を囲んで息を合わせてパタパタやるのです。
何とも、非合理的で無駄だらけな様子ですが、毎月々々パタパタやります。
私は、この手間を神様が喜んで下さるんじゃないかと思っています。

天理教に限らず、ほとんどの神事は、やたらと手間がかかったり、意味がわからなかったり、非効率的であったりして、誰がこんな事決めたのか?
なんて思ったりしますが、決めたり考えた人は、きっと「こういう手順なら、神様に喜んでいただけるんじゃないかな」と想像して手間をかけたんじゃないかと思うんです。

時代と合わないと言えばそれまでで、そうしなければならないのか?と聞かれれば、そんな事はないのですが、
それでも、「神様が喜ぶんじゃないかな」という基準を、大切にしたいのです。

今更ですが、あけましておめでとうございます・・・えっ?

2022-02-06 20:36:10 | 日記
昨年の8月以来、更新をサボっておりましたが、元気です。
新型コロナはいかがですか?
年の初め、当教会内でも、感染者がありました。
かなり気をつけていましたが、感染する時にはするものだと、改めて思いました。
よそ様のお宅で、そういうお話を聞かせていただくいているうちは気がつきませんでしたが、
当教会で、新型コロナに遭遇してみると、よくわかりませんが申し訳なく感じ、世の中には、そういうどうしようもないことに心を痛めている人も多いんじゃないかと思いました。
また、沢山の方から優しい声や、ご支援をいただき、感謝の言葉も思いつきません。
本当にありがとうございました。

困った時にかけていただく言葉や心には、自然と感謝の心がめばえました。
そして、何かに困った人がいらした時には、今度は私が何かをさせていただこうと思いました。
そんなこんな、たすけあいの輪というのは、こうやって広がっていくのかと気がつきました。

人の世の上に憂うことは、少なければ少ないほど良いと思っていますが、それでも予期せぬ事は起こります。そういう時には、無理をせず人にたすけを求め、また、そういう人に出会った時には、お手伝いをさせていただく・・・憂いはやっかいなものですが、憂いを基点に人の優しさがつながり、すこしずつ憂いが薄くなっていくような日々を重ねようと思います。