言葉を知らなかったり、違和感を説明する能力がなかったり、言ってはいけないと思わされて
言えないでいたことを、言っている人達を見て、共感して、触発されて、知恵つけされて
言えるようになる。
条件付け:conditioning 条件付けを通過すれば当たり役 条件付けを通過すれば当たり役②
詩を見たり講演や会話を聴いたり著作を読んだり。
でも私は哀しいことを発見しました。それは、そういう道を開いてくれた人達、
言える自分にしてくれた人達に牙をむくという摂理のことです。
feminismでも、今とは全然違う時代を生きた女性達が、打ちのめされながら足蹴にされながら闘って、
今の状態がある。それで女性が力をもち色々言えるようになって、今の女性達が、
今持つことができている感覚で、前世代のfeminist(今でもご健在)をボロカスにディスったり
するのを見て、その先生は、「いいぞいいぞ」と思える程、聖人ではないだろうと思います。
今のfeminist達がその心意気を持てるように頑張ったのは前の世代の女性運動家たち。
でも今のfemisist達はその先輩のだめな所を、ボロカスに批判している。
そういうのを 精鋭化 というのかなぁ。
私も、自分に 言えるようにしてくれた人 言えるという状態を醸成してくれた人に対して
その恩みたいなのが 見えなくなって(言える状態が自分の中で空気の様に当たり前に
なったのは、いいことだとも言えるのか)痛烈に批判をしたくなったり。
それは恩をあだで返すのに似てます。
でもこういう摂理というか現象は、社会運動や学門や芸術の世界でよくあることのように思います。
科学の世界でも、誰かが大発見してくれた法則Aのおかげで、その人の盲点への批判によって
別の大発見Bがなされた みたいなのってありませんでしたっけ。
でもAという発見がなければBの発見も生まれなかった みたいな。
師匠に牙をむくのは、探究者たちの宿命かもしれません。
言える自分にしてくれたのに、その人にとても 怒りを感じたり。
自分を力で抑圧し、棄損、蹂躙してきた人達や権力に媚びる人達やネトウヨみたいな人達は
論外過ぎて、眼中になくて、そういう、自分に知恵をつけてくれた人の発言とかに
えらく傷ついたり 怒ったり。最初から阿呆は眼中にないでしょう。
そういうのって なんだろう。
精鋭化 は 大切なことを見えなくしてだめな気がする。
当たり前じゃなかったことを当たり前にしてもらった恩返しが、牙をむくこと。
bite the hand that feeds
stab in the back
return evil for good
repay kindness with ingratitude
言える自分にしてくれたことへの appreciate はずっと持ってるようにしよう。