悪人は長生きするの例。 (関連:101歳で死去した中曽根康弘)
たくさんの人達を死なせて自分は長寿を全うした偉い人。「俺も後で行く」と言って10代などの若者を特攻に飛び立たせて、機体不良で戻ってきた隊員に激しい罵倒、恥辱を浴びせ、殴り倒し、自決を迫り(それで自殺した隊員たちもいる)、自分は逃げ回って結局天寿を全うした旧日本軍の指揮官や、人間爆弾や人間魚雷を発案して戦後も偽名で生きた人。
富永恭次 菅原道大
倉澤清忠 牟田口廉也
黒島亀人 人間魚雷「回天」「震洋」「震海」「伏龍」など数々の特攻兵器を立案。
米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者、大田正一。横山道雄と名前を変えて戸籍も変えて戦後を生きた。
アメリカがthe greatest of the “Money Gang” と認識していた天皇家。 天皇財閥
/『天皇家の財産』黒田久太
だいこんをかじる子ども達 岩手県遠野市 戦前の農村の困窮
「皇国の御恩に報いる誉」 「天皇陛下の御為に死ぬこの上ない栄誉」 「日本男児の本懐」
「これ以上の幸福者はなき事と心得」 「栄光の日」 「武人最高至上」 「神州は不滅なり」
記念館に展示されていた遺書はどれも立派な字で、殆ど同じ内容だった。検閲があった。
17歳の神風特攻隊員パク・ドンフン 出撃前の肉声あり
「焼き場に立つ少年」 ジョー・オダネル撮影
この写真の横で、ローマ教皇(法王)フランシスコは11/24に長崎の爆心地公園で核兵器廃絶のスピーチをした。またこの写真の印刷と配布を指示した。赤ちゃんの寝顔はこんな顔で、いつの時代も愛くるしい。二度と目を開けて泣かない寝顔の写真。
原爆投下「やむをえない」天皇hirohito 1975年10/31の記者会見 Where is God
1975年10/31の記者会見にて。
─天皇陛下はホワイトハウスで「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がありましたが、このことは戦争に対しての責任を感じておられるという意味に解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任についてどのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」 この動画は現在、見つからない。
─陛下は(中略)都合三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞いの言葉をかけておられましたが、原子爆弾投下の事実を陛下はどうお受け止めになりましたでしょうか。おうかがいしたいと思います。
天皇「この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」