人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

こさんじ

2015年06月14日 | 映画
落語なんて

なんの関心も

ありませんでした

ところが

たった一本の

ドキュメンタリーで



たちまち

今や

落語追っかけ

しています。

浅草演芸ホール

新宿末広亭

上野鈴本

いいのホール

その他その他

地方にも

出かけて

行く始末

その元は

ただ一本の

ドキュメンタリー

「柳家小三治」

なのでした。

それも

神保町シアターの

特別企画で

偶然見たのです

以来

「ドキュメンタリー」の

意義深さ

面白さ



作り手の熱意によって

こんなに

人を

変えられる



わかったのでした。

最近

NHKや民放の

ドラマに

まったく興味が

失せたのは

年齢のせいか

ドキュメンタリーの

持つ

リアリティに

欠けるから

なのか

わかりません。


京都ばなし(その5)

2015年06月13日 | 日記
昔々の話です

京都は百万遍の

通りに面して

「琥珀」という

喫茶店がありました。

ある晩

夜を徹して

ベートーベン交響曲

全曲通して

やるということが

ありました。

二階のその部屋は

学生たちでいっぱいで

私はすみっこにひっそり

すわっておりました。

ベートーベン全曲・・・

ついに

第九まできました。

「合唱」の直前になって

私はふっと店を出たのです

ちょうど

夜明けの薄明かりが

百万遍を

ただよっていました。

私は大文字山の

いつもの道を登り

そこから山を越え

琵琶湖のほとりまで

歩いたのでした。

わけもなく

泣きながら。

19歳のあの年は

哀しいものですね。

あの夜と

夜明けの思い出

それは

琥珀の

たった一杯の

コーヒーで

始まったこと

なのでした。





静かなる寺

2015年06月12日 | 読書
のめりこんだ

藤沢周平でした

ついに

鶴岡から山形へ

このたびは

山形師範に通っていた

周平の青春の息吹を

求めて

彼が下宿していた

寺を訪ねました。

ああ

静かなる寺は

そのまま

周平の雰囲気でした。

正面のお寺のことも

エッセイにあった通り

清冽な水が流れる

ここもまたなんと

静かなるお寺

であった

ことでしょう。

それから旧師範

今の山形大学の

ほとりを歩いて

静かな道を

山形の駅へとたどった

のでした。

学校にはほとんど行かず

映画館に通っていたと

書いてあったけど

それらしい

映画館は見当たらず

きっともう

なくなったのですね。

周平が過ごした町

という

それだけで

山形のあのあたり

哀しいほどの

静けさは

まさに

あの孤高の作家の

息吹を湛えて

いたのでした。


この理不尽なるもの

2015年06月11日 | 日記
老婆はほとほと

疲れましたよ

可愛い可愛い

孫二歳と四歳ですが

およそ聞き分けというものが

通じない

公共乗りものだろうと

おかまいなく

喧嘩おっぱじめたり

泣きだしたり

ママがヒステリー起こすのも

無理ないことなのでした。

他人の子どもが

こんなだと

その親が責められて

恥ずかしい思いをする

でしょう。

けれどその身に

なったならば

こりゃもう

阿修羅に

なるっきゃないのでした。

でもでも

老婆は疲れ切って

早々と

引き揚げまする。


母系社会ですから

2015年06月09日 | 日記
男の子を

授かったときから

わたくし

覚悟を決めて

おりました、

息子はいずれ

女性の側に

取り込まれて

母親のわたくしは

とり残されて

孤独死するのが

なりゆきだよと。

なぜなら日本は

母系社会ですから

娘は結婚しても

実家と結びついて

男はただ添え物に

なっていくのです。

だから息子を持った母親は

最初から

このことを

覚悟しなくちゃなりません。

男はあのバンビの一家のように

家族を離れて

一人森をさまようのです。

そしてその母親も

孤独に耐えつつ

命を終えるのか゜

日本という

母系社会の

運命なのです。

だから昔は

家族制度の名のもとに

男と男の母親の

位置を権威づけねば

ならなかったのです。

今は・・・・

そう、今は・・・