人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

企業だけがーー

2018年06月25日 | 日記

久しぶりに元大企業に勤めていた

弟と会った。

どう、安倍政治は?

というと

政治家なんてだれでもいいのよ

企業さえしっかりしてれば日本は

それで持つのよ。

のたまった。

ほんまかいな。

企業家たちは

我々が日本を動かしている

と思っているのは本当だろう。

日本の政治家たちって

飾りのお人形なのかしら・・・

国会中継を真面目に見ている人たちって

どんな人なんだろう

と思っていたら

87歳になるある真面目ご婦人が

熱心な視聴者でございました。

お、驚きましたーー

私なんぞ

どうせ茶番でしょ、と

チャンネル切り替えるのに

「わたくしは民放は見ませんの」

とのことでありました・・・


それだけはタブー

2018年06月24日 | 日記

妹が78歳で亡くなった。

膠原病や心臓病を患っていたが

兄弟姉妹にはちょっと

迷惑なことをしていた。

新興宗教への勧誘である。

自分が信じているものを信じない

っことは私を信じてないってことでしょ

言われたりすると

どうにも困った。

お金にもシビアで

ずいぶんいろいろと提供した。

「私の人生は不幸せだった」と

死ぬ前に娘に言ったというが

お金はあったしお弟子もたくさんいたし

「幸せ」の種は見つけようと思えば

いくらでも見つけられたのに・・・

どうして・・・

かっとなったりしやすい人は

膠原病にかかりやすいというのは

フェイクニュースであってほしい。

ともあれ

死ぬ前には

「幸せでした」と周りに告げたい・・・

 


親友を失った話

2018年06月23日 | 日記

高校時代の親友

ずっと文通もしていたけれど

彼女の娘が年頃になったと

一通の手紙が来ました、

それはだれかいいお婿さん候補はいないか

という依頼の手紙。

今から思えばごく当たり前の手紙なのでしょうが

私ときたら

「それは彼女自身に選ばせるべきで

親が差し出るものではなかろう」と

青臭い論でもって返事をしたところ

それっきりになりました・・・

一人の人生を左右する相手を見繕うなんて

傲慢だと思っていた

日頃の論をぶつけたのでした・・・

はるか昔の話です。

親友はまだ元気でいるかしら。

娘は幸せにくらしているかしら。

自分で相手を見つけたかしら。

そしてある日ふいに

親に

「私、結婚します」と

告げたかしら。

他人の

そして我が子の結婚の相手を見繕う人たちがいるって

私には今も

解せないことなのでした。

親友を失っても、です・・・・

自分の人生は自分で責任を負いましょう。

 

 

 


コンビニ弁当

2018年06月22日 | 日記

旅に出かける時

気軽にコンビニ弁当を買っていました。

いわゆる「全国駅弁」を買ったこともありましたが

どれもなんだか納得できず

ーーだって、ご飯にただ筋子がかけてあるだけで

漬物とか一切なくてどうやって食べろっていうのーー

いろいろおかずがつけてあるコンビニ弁当にしたのです

が・・・・

とある情報に接して

つまりChinaの「安い食べ物」が

どんなふうに作られているかを

潜入ルポしたのを見てぞっとして

それが日本に厳しい検査はなくてどんどん

入っててそれが「お弁当」なんかに使われている

のではと疑うと

もうげんなりしてしまって

やっぱり旅に出るには

自分で弁当作るのが一番安心かな

思ったのでした

でもそれって

とてつもなく面倒なので

やっぱり

水は低きに流れる

のでありました・・・


震度6の秩序

2018年06月21日 | ニュース

大阪高槻市

震度6の地震・・・

あっ、と驚く震度でした。

奈良の知人は心底怖かったそうです。

可哀想な、小学生の犠牲者も出たーー

のですが

次に私らが見た映像は

淀川の橋を黙々と歩く長い行列。

交通機関が止まってしまうのは

まだまだ地震国のインフラが整っていない

のだなあと実感

させられるのではありますが

それにしても

この行列の風景は・・・・

不思議なのは

なぜこの映像を見て外国の人たちが

日本人の秩序に感嘆するのか、です。

だってこんなところで暴動起こすわけにもいかず

こうして黙々と歩くしか

ほかに何があるというのでしょう。

秩序、というより

仕方ないってことでしょう?

それを「日本人すごい」と感嘆されても・・・

私、日本人は首をかしげるのでした。

そう、あの東日本大震災のとき

私は神田の中央通りにいましたが

長い長い真夜中の行列を体験いたしました

若い女性も大勢いましたが

みんな黙々と整然と歩いていました。

だってーー

そうするほかなかったのです・・・