2年前、付き合っていた男からスーツケースを預けられたことがある。
当時私はバツイチで安いアパートに暮らしていた。
「取引先から預かってるものだから絶対に開けるな」
「動物?」
「は?」
ゴトリと音がしたような気がしたのだ、スーツケースのなかで。
「違う」
ゴクリと唾を飲み込んでから彼は言った。目が大きかった。
じゃあ私になんか預けるなと思った。
「お前はあまりこういうの気にしないタイプだろ」
「そだね」
スーツケースを預かってから2日目。
夕食の買い物から帰った時である。
玄関のドアを開けて靴を脱ぎかけて私はドキッとした。
部屋の中に見知らぬ子供がいたからだ。
すぐそこだからと鍵をかけないで出ていたせいもある。
今考えるとゾッとするが。
一瞬、中絶した自分の子供のことを思い出して息が止まった。やっと忘れている時も多くなってきていたのに。
「だあれ? 勝手に人のうちに入ったらいけないのよ?」
まだ小学生ではあるまい。髪の毛はおかっぱでたぶん女の子だと思った。
背を向けてうつむいており、顔は見えなかった。
黒っぽいワンピースを着ているせいか、むき出しの手足が真っ白に見えた。
「それは開けちゃダメよ」
その子供がスーツケースのロックをいじっていたので、私は近づいて手を押さえた。
(冷たい!)
その瞬間、その子供が振り返る気配がした。
(あ、見ちゃダメだ)
なぜだかそう思って(本能的に?)、私は一瞬目をつぶった。
目を開けると子供はいなくなっていた。
その手の冷たさだけが私の手のひらに残って消えなかった。
なんだったんだろう、あの子。
と思っていたら、ゴトッと物音がして私は一瞬心臓が止まりそうになった。
「さぁ晩ごはんつくらなくっちゃ!」
私はひとりごとを言って夕飯の支度に取りかかった。
物音はスーツケースの中からしたように思った。
その夜遅くに彼がスーツケースを受け取りに来た。
数日しか経ってないのに、はっきりとわかるほどやつれていたのでびっくりした。
「中、見てないよな」
「うん。何が入ってるの」
「秘密だ」
「ふーん。ねえそういえば今日不思議なことがあったの」
私は夕方の子供の話をした。
すると彼の顔がみるみる青くなった。
「黒いワンピースを着ていたんだな?」
「うん、目をつぶってる間にいなくなっちゃったけどね。ねえ顔色悪いよ」
「何でもないよ」
それだけ言うと彼はスーツケースを持って帰っていった。
それ以来、彼に会うことはなかった、生きている彼には。
あの不気味な子供にも。
数日後、彼は自動車を運転中に事故を起こして、病院で死んだ。
私が当時看護師として働いていた病院だった。
その日、私は非番だったが、同僚からそのときの様子を聞くことができた。
彼は死ぬ間際まで「子供がいる」とうわ言のように繰り返していたそうである。
「そんな子はいませんよ、って言ったけど、ほんとは私見えてたのよね、ベッドのカーテンの隙間から覗いているのが」
「子供が?」
「黒いワンピのおかっぱの子がね」
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