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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

鞍掛のデーモンジ

2018-01-15 23:39:03 | 民俗学

 昨日は上戸のデーモンジのほかに辰野町北大出鞍掛のデーモンジにも足を運んだ。2011年に「おんなたちの力」で触れたように、鞍掛でも必ず1月14日にデーモンジは建てられている。あの時は平日ということもあって、デーモンジ建ての際に男性は4人しか集まっていなかったが、昨日は日曜日ということもあって、大勢の男性が集まっていた。集まってきた男性の中には「今年は大勢いるなー」と何度となく感想が漏れていたように、平日実施の時とはだいぶ賑わいに違いがあった。柱を建てる時間を午後3時と触れていたようで、とりわけ柱建ての時間に大勢の男性が集まった。

 午後1時、集落内にある大日堂に女性が集まってくる。北大出区にある集落は「小路」と呼ばれ、鞍掛はそのひとつ。40戸ほどの集落で集落の代表は協議会部員となる。まだ40歳を過ぎたばかりの方が今年の部員で、この方がデーモンジ建てを仕切ることになる。2011年の際に4人だけだった男性も、その一人は鞍掛の代表者だったのだろう。そして当時と同じ顔の年配の方が今年も終始行事を指導されていた。70代後半の男性2人である。この2人の方が竹の切り出しから柱に結わえ付けるオンベや柱建ての準備をし、女性たちは竹に結わえ付けられる飾りの準備を始める。女性といっても年配の方もいれば、若い主婦の方もおられ、それに子どもたちも加わる。折り紙の本を開きながら、ふだんはしない折り紙にこの日ばかりは集中する。それらに「これでなければいけない」というものはなく、それぞれが工夫してさまざまな飾りが作られる。また厄年の方は男性は扇子、女性はキンチャクを吊るすと言われ、扇子には名前と年齢、あるいは「42歳男」といったような文字が書き込まれる。キンチャクは布で袋状に作られるもので、今年はふたつほど吊るされた。また、柱に付けられる角灯篭風の箱は、四方に文字が書かれる。前年書かれた紙の上に障子紙を貼り、新たに文字が書き込まれる。「道祖神」「五穀豊穣」「天下泰平」「交通安全」と書かれていったが、世話役の男性によると、昭和51年に「養蚕大当」の文字に代えて「交通安全」にしたところ、以後ずっと「交通安全」が続けられてきたという。養蚕農家がいなくなったので、時代に応じて書き込む文字を変えたというわけだ。

 飾りの準備を終えると、大日堂の庭で竹にこれら飾りが結わえ付けられる。そろそろ午後3時になるというと男性たちが集まり、これら飾りが柱を建てる道祖神の祀られている三叉路まで運ばれる。道祖神の祀られている場所の北に竿置き場があり(ここには「庚申」碑がいくつも並ぶ)、そこから芯棒となる柱を持ち出し、道祖神の祀られている場所の道に横たえられると、頂きにオンベ、その下に飾り付けられた竹2本、そして角灯篭が固定され、いよいよ柱建てとなる。2011年の際にはこうした柱建ては参集していた男性4人と女性の方たちで行われたが、昨日はほぼ男性によって行われた。かつては三方に固定用の縄が張られたというが、今は竿を建てる専用の柱に固定することもあって、二方にロープで固定されるだけとなっており、その一方には縄が一緒に張られ、そこには幣束が付けられる。昔ながらの形状で実施されているのは「鞍掛だけ」と世話人の方たちは言う。30分ほどでデーモンジ建ては終わり、協議会部員の方の締めの挨拶で一切は終わる。地区の集会施設となっている大日堂に、女性の方たちが集まって一緒に飾りを作ることに、鞍掛の良さがあるのではないかとわたしは感じた。おそらくしばらくの間は14日に固定されてデーモンジ建ては続くのではないだろうか。

 なお、柱は17日の早朝に倒される。という。竹についた飾りを竹の枝さら折って持ち帰って魔除けとされるという。もちろんキンチャクが最も喜ばれるようだ。人に持ち帰ってもらって厄を落とす、というわけだ。

 

 


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