隣組⑤より
自治会内の回覧には集金の告知物はなかったが、自治会が予算上必要としている自治会費については総会の席で予算に関する審議がされ承認されているし、その集金を担うことになる隣組長が直接隣組に対して広報するという形になっている。事実わたしが隣組長の際にもこうした回覧物の鏡として隣組長として必要事項を記した告知物を添付していたわけである。自治会費の集金という観点に立てば、自治会長名でその旨を記した告知が必要だという意見があるかもしれないが、総会で周知されているものだから何度も告知する必要はないだろうし、前回にも触れたように無駄な回覧を無くすためにも確認事項はその際に必ずそれぞれの責任において認識しなくてはならないことなのだろう。
先日河川清掃なるものがあった。山間僻地さんのコメントに同様の作業のことが少し触れられていて、このことを自治体から委託を受けたというコメントをされているが、実際のところ受委託の契約がされているかはともかくとして、我が自治会においても同じように河川清掃が行われている。といっても今年はちょうど大雨が降った直後ということもあって作業途中から増水し、結局のところ河川内の草刈などはほとんど実施しなかったのだが、それでも行動をとったという実績で作業は終えている。そもそも三面コンクリートで固められていることから、河川清掃とは名ばかりで周囲の道路の清掃が主たるものになっているのが我が自治会での作業の実態である。古くからあるミチブシンにしても側溝清掃にしても自らの住む地域の環境整備の一環のものであるが、元来は多くが農道としての役割、あるいは農業用用水路としての役割を持っていたことから生業環境の整備が実態であったわけであるが、今は道は自治体のもの、側溝も自治体のもの、という具合に生業と直結しない上に公共財産としての認識が高まっているのが実際だ。まだまだちまたにはミチブシンやイザライといった共同作業が残っているのだろうが、我が自治会ではこの作業がまったくない(以前1度側溝浚いをしたことはあったが毎年恒例ではない)。直接生業とは無関係とはいえ、ふだん利用している道路にしても水路にしても、地域の共同作業として環境整備がされることは、わたしとしては認めたい作業である。もちろんその一種として河川清掃があることも認めるところだが、どうもその作業にも高低があるようで、重荷を負っている自治会もあると聞き及ぶ。もちろん山間の人口粗密の空間では平坦地同様にはいかないだろう。
話が逸れたが、実はその日河川清掃があることをわたしはまったく認知していなかった。確かに例年この時期に行われているわけだが、あらためて告知があると思っていたらそれがなかったからだ。冒頭にも触れたように、1度告知されたものをしっかりと認識していない当方の手落ちということになるだろうが、このあたりは「告知」という作業に対する隣近所の意識形成とつながるものである。
続く
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