Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

毎朝の鬱陶しい“奴”のこのごろ

2024-11-20 23:31:15 | ひとから学ぶ

 最近、毎朝鬱陶しかった“奴”が、接近してこない。高速を降りて、駐車場までの一般道、後ろにつかれると接近されて鬱陶しくて仕方なかった。したがってなるべくなら高速上で抜いてくれればそれでもう会うことも無いのだが、これがけっこう高速の出口辺りで後ろにつかれる。一般道に出てからとなると、奴を「お先にどうぞ」と除けるのも面倒なこと。そもそもそんなことに気を遣いたくないもの。ここに書いていることそのものも鬱陶しいことなのだが、「気を遣う」という意識そのものも、奴はどう思っているか知らないが、迷惑なこと。会わないのが一番なのだが、「またか」という感じに頻繁に遭遇する出来事。

 同僚が言うには、けっこう長い区間を走っている車の様。ようは大方の車を抜いてくるわけで、その数は相当のものなのだろう。たまに「何キロ出しているんだ」と抜かれた後について行ってみると、140キロくらい出している。さすがにしょっちゅう会う車だから、「ついて行く」といっても抜かれてから間をおいて、接近はしないようにしているが、等間隔で車速を見るとそのくらいの速度だ。毎日毎日長いスパンをこの速度で走っているということは、毎日毎日抜かれている車がいるということ。目立つ車ではないが、みんなが知っている目立った車であることに間違いない。「毎朝の鬱陶しい“奴”」ではわたしと20キロくらいの違いだろうか、と記したが、最近は100キロ以下で走ることが多いから、そんなレベルではない。にもかかわらず、高速出口で頻繁に後ろにつかれる。何度かスマートインター内で除けるようにレーンを逸れたことがあったから、わたしが嫌がっていると察知したかどうかはわからない。ふつうはいつも出口に向かう車が、ふつうではないラインに入っていくのだから察知するとは思うが、果たして…。

 何度か一般道に下りてから奴を避けるように高速で走ったこともある。それが奴にとってわたしを意識させるきっかけになったかどうかはわからないが、このところ後ろについても煽られることはなくなった。それでもこれまでの印象があるから、「意識する」ことに変わりはない。奴に限らないが、接近する車すべてに「勘弁しろよ」と言いたいところだ。というか、わたし的には、ほぼ3台に1台は「意識せざるをえない」車間をとってくるのが実情だ。


コメント    この記事についてブログを書く
« 古本を買う 後編 | トップ | 自治会費の人頭割 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ひとから学ぶ」カテゴリの最新記事