中村さんからいただいた佃煮
先日ザザムシ漁にうかがった中村さんから、ザザムシの佃煮をいただいた。ちょうど新年を迎えるということもあって、大晦日から正月にかけて、酒の肴にさせていただいた。食べてしまってからいただいた瓶の中を探してみたが、実はマゴタと呼ばれているヘビトンボの姿が、写真を撮ろうとしたらなかった。ということで皿の上に出したものが写真で、すべてアオムシと呼ばれているトビケラの幼虫である。うかがった際にも中村さんが言われていた通り、中村さんは基本的にアオムシが中心で、そこにマゴタが混ざる程度。かつてザザムシと言われていたというカワゲラの姿はない。
見ての通り、佃煮にしてもアオムシの姿はそのままだ。写真にはないがマゴタに至っては、姿形も大きいので、「これは何だ」と思うのは必至。会社内でも話題になったが、嫌な人は絶対口にしない。佃煮になる前の姿を見たらますます食べられないという人もいるが、佃煮になっていても、姿形を見れば食べられない人は多いだろう。とはいえ、蚕のサナギに比較したら匂いもなく、イナゴとどこが違うんだ、というほどにイナゴが食べられる人だったら食べられるはずだ。むしろ漁がされている「天竜川で獲れた」ということに抵抗があって食べない人もいるかもしれない。けして伊那市あたりを流れる天竜川に「清流」という印象を持つ人はそう多くない。
中村さんの漁場にいたカワゲラ(珍しいというわけではなく、石の裏にはけっこう姿を見る)
中村さんの四つ手網の中から(左側の大きめなものがマゴタ、ほかはほとんどアオムシ)
平成5年の『伊那路』(上伊那郷土研究会)1月号に長瀬康明氏が「ザザムシ」について報告している。その中で長瀬氏はこう記している。
おおまかにいって昭和二十年頃以前はカワゲラの幼虫が主体であったが、それ以後はトビゲラの幼虫が主座に変わります。
と。おなじ指摘は牧田豊氏も天竜川上流河川事務所で発行している『語りつぐ天竜川』の49集「伊那の冬の風物詩ざざ虫」の中で触れているが、とくに牧田氏は具体的数値でそれを検証している。それは昭和32年に信州大学農学部教授だった鳥居酉蔵が示した個体100匁中の生物組成や長野県水産試験場のもの、あるいは中井一郎採取個体からの組成割合を比較したもので、最も古い科学的分析である鳥居のものでも、いわゆるアオムシの組成比率がほとんどであることから「ザザムシ(カワゲラ)の多く獲れた「昔」とはいつなのだろうか」と言っている。実は、牧田氏の参考文献の中に長瀬氏の報告は入っていない。ちょうど牧田氏がザザムシに興味を持ち始めたころの文献なので目にしていないことはないと思うが、科学的根拠の資料を求めたこともあって、長瀬氏の報告は採用されなかったのかもしれない。長瀬氏は次のようなことも記している。
箕輪地積あたりでは昭和二十年頃からトビゲラの幼虫、青虫が“ザザムシ”と捕虫の対象になったようです。
三峰川と天竜川の合流する東春近車屋付近のカーブする浅瀬では、昭和二五年頃まではカワゲラとトビゲラの幼虫が共に捕れましたが、トビゲラの幼虫の青虫は全部捨てて、カワゲラだけをザザムシといって捕っていました。
それがやや下がった渡場や田原あたりでは、昭和三十年頃まではカワゲラ、トビゲラをも“ザザムシといって食べたものだったが、三五年頃にはトビゲラの青虫が主となっていたようです”カワゲラの幼虫は、胸元に足がはえていて、尾っぽに二本のひげがあった。トビゲラは丸々として体が幾筋もくびれていも虫のようで煮姿もまるで違っていたな。カワゲラの方が歯ごたえがあって香ばしかったようだ。
と記している。ようは鳥居報告は既にトビケラ主体になって以降のものだったわけで、最も古い科学的分析ではわからないものが、伝承からうかがえるというわけである。「カワゲラの方が断然うまかった」という話も報告している。水温とも関係しているのだろうが、長瀬氏はトビケラの中でも種の変化が起きていると述べており、単にアオムシと称している虫の中にも、見た目ではわからないが変化が起きているのだろう。
長瀬氏は虫踏許可証についても触れ、これは昭和24年ころ、天竜川漁協が設立された以降必要になったものだという。当初は漁業料は2500円。昭和48年に4000円となり、翌49年には10000円、昭和56年から今と同じ15000円となったようだ。この許可証は天竜川漁協のみの特有のものということは以前にも触れたが、道具を使って漁を行わなければ、ザザムシを獲ることは許されるという。石を裏返せばアオムシの姿を必ず見ることができる。これを箸でつまんで獲る。手間はかかるが、100匹ぐらいならすぐに獲ることができそう。でも100匹では料理するには少なすぎるから、根気よく1日中箸でつまめば、ようやくものになりそうだ。
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