Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

『あしなか』

2016-03-02 23:48:57 | つぶやき

 『あしなか』(山村民俗の会)の最新号である305号が届いた。昨年師走に「事務局の1年を振り返って・後編」において、信濃史学会が30年ぶりに年会費を値上げするという話について触れた。そんな話が湧き上がる時代を迎えたのだろうか、「あしなか」も年会費を今年度から上げるという。こちらは20年間会費を据え置いてきたが、高齢化による会員数減少によって赤字が毎年続いていたという。かつては年間5号ほど発行されていた『あしなか』であるが、最近は発行間隔が開くようになってきていた。告知によると、これからは「年50~60頁を2~3回に分けて発行する」らしい。ページ数にしては少し会費が高額な印象を受けるが、実は山村民俗の会はまだ高校生のころから入会していた思い入れも深い会だ。現在事務局を担っている長野県民俗の会よりも10年近く以前から入会している会である。

 ところで今回は会員名簿が同封されてきた。現在会員名簿を配布する会は珍しい。長野県民俗の会でも以前は会員名簿を配布していたが、個人情報保護が叫ばれるようになってからというもの、発行を避けてきた。しかし、会員名簿は本当なら配布したいところ。なぜならば誰が会員なのか、会員自らは何も解らないからだ。機関誌を見て投稿されている方は会員だとは解るだろうが、購読だけしているような会員は会員なのか非会員なのか他人には解らない。先ごろもある方が通信に投稿したいという話があったが、基本的に会員でないと投稿はできない。依頼した場合はその限りではないが、投稿したいという理由だけでは希望は叶えられないのだ。会員になっていただくというのが原則となる。そうでもなければ会費を集める意味がなくなってしまう。したがって編集担当や会の活動に関わっている者には、誰が会員であるかという情報はなくてはならないもの。会員名簿を配布しなくなって以降、そうした役員等への名簿配布がされず、結果的に非会員でも投稿可能な環境を作ってしまったとも言える。会員名簿は会員である印でもあり、会員はその情報を得る権利があるだろう。

 さて、山村民俗の会会員名簿は、いつごろからか名簿に「入会年」という欄が設けられるようになった。今回もその情報が一人ひとり書き込まれているが、わたしの欄には「54」と書き込まれている。これは昭和54年を示している。あらためて手元にある『あしなか』の蔵書を調べると、昭和52年3月に発行された152号から揃っている。昭和52年の第1号である。当時は別刷りで会務報告も配布されていて、「52会務報告」には「五十二年度会費領収」という欄があり、わたしの名前が加わっている。同じ通知には「会費連絡」という欄が設けられていて、「52年度会費受領しました」とも書かれているから、おそらくわたしが入会したのは昭和54年ではなく昭和52年の誤りだと思う。当時の会員名簿はなかったが、平成5年に作成された会員名簿で会員数を数えると286名ほど名を連ねる。そして今回送付されてきた名簿で数えると、137名。確かに会員数は減少しているが、20年余で150名ほど減少した同会に比較すると長野県民俗の会は10年で100名ほど減少しているので、会員減少率は我が会の方が高い。ちなみに山村民俗の会は、その会員の8割が関東甲信越エリアに居住される方だ。創立時(昭和13年)4名で立ち上げたという山村民俗の会、創立会員を引き継がれた方(御子息なのだろうか)4名が今なお名簿に名を連ねられている。

 

入会した当時の『あしなか』152号

 

『あしなか』最新号305号

 


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