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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

盃状穴再び

2022-07-02 23:03:40 | 民俗学

 日本における「盃状穴」について、ウィキペディアでは次のように記している

鎌倉時代には村の入り口に魔よけの目的で作ったり、神社の灯篭や手水石等に彫る事が多くなった。東大寺の転害門に彫られた盃状穴もこの頃に彫られた物である。江戸時代には従来の目的に加えて、昔作られたものを元にして新たに数多く作られた。盃状穴信仰は維新後も残り、昭和初期までは作られていたという説もある。

日本では明治時代に坪井正五郎や鳥居龍蔵によって考古学的な研究が行われたが、その後の考古学者の興味を引く事はなく、あまり研究は行われてこなかったようである。最近は民俗学の学者が研究している。

 ウェブ上に検索しても、具体的に盃状穴に関する信仰が綴られたものはほとんどない。盃状穴と言えば、古代の信仰遺物のような捉え方をされている例は少なくない。

 繰り返すが、盃状穴についてわたしは日記に何度となく記してきた。主なものとして下記のようなものがある。

人工ポットホール・前編
人工ポットホール・中編
人工ポットホール・後編
こんぼった石
盃状穴 前編
盃状穴 中編
盃状穴 後編
盃状穴 外編

とりわけ「石屋さこまんば」について触れた「盃状穴 中編」の阿智村駒場の伝承は具体的な例を示した貴重なものである。ウェブ上のさまざまな説をここで少し取り上げてみる。

「奈良の石屋〜池渕石材のブログ」では、

この盃状穴、鎌倉以降のものはお寺や神社の石に刻まれる例が多いのだそうです。
灯籠の下石であったり、手水鉢だったり。奈良ですと、東大寺の転害門のものが有名とのことです。
なぜそんなところに好んで穴が開けられているのかというと、古い時代の庶民は少しでも神仏の御利益が得られるようにと、薬草であったり薬効のある粉であったりを、そういうところに持ってきてすりこ木などですりつぶしたのではないかと推測されるわけです。
神様仏様のお力添えを願ったすり鉢というわけですね。

と紹介している。信仰遺物としての一説ということになる。


「力石に魅せられて 姫は今日も石探し」では、

盃状穴は女性たちが子宝に恵まれることや、
安産、子供の健やかな成長を祈りながら、
石の表面を小石で根気よくゴリゴリ擦ってできた穴なんです。
人に見られたら効めがなくなるので、夜陰に乗じて行ったそうです。

盃状穴どんな願いをかけたやら

こうした穴に雨水が溜まると「いぼ取り水」に使われました。
穴の霊力を信じていたからこそ、なんですね。
昭和初期に子供だった人は、この穴にヨモギを入れ、
小石で突いておままごとをしたそうです。
静岡県東部では「とりもち穴」と呼んでいます。

ここにある「この穴にヨモギを入れ、小石で突いておままごとをした」は、「石屋さこまんば」と同じような例と言える。

 「石屋さこまんば」は、熊谷元一さんが描いた童画にもなっていて、下伊那地域ではよく知られている話。ところが『阿智村誌』下巻に掲載された「民俗・文化財」の中表紙絵にされながら、本文の中でこれについて何も触れられていない。


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