辰野町羽場中村
辰野町羽場上
辰野町北大出宮下
辰野町北大出三ツ谷道祖神
一昨日今年のデーモンジについて触れたが、違和感のある写真が羽場中村と羽場上の写真にあったと思う。「なぜ建っていないのか」と。考えてみれば訪れたのは14日の午後。ようはまだ建てるに至っていなかったというわけである。今年は鞍掛が実施無いことについて触れたが、鞍掛は毎年必ず14日に建ててきた。この時代になっても土日実施ではない。同じことが周辺でも言え、羽場の2箇所と北大出の神社前の宮下が14日に建てている。宮氏の写真は一昨日掲載しなかったが、実はいつも建てる横に竹だけ横たわっていて、「いずれ建てる」という感触は得ていた。聞き取りをしていないが、おそらく建てるのは14日の夕方なのだろう。
ということで今日現場に出た際に立ち寄ってみた。羽場の2箇所はもちろんだが、宮下のデーモンジもちゃんと建てられていた。とくに驚いたのは宮下である。過去の宮下の写真を顧みればわかるが、今年のデーモンジは、高く掲げられていて、これまで見た中では最も立派に建てられていた。鞍掛が今年建てられていないせいもあるが、もしかしたら今年この一帯で建てられたデーモンジの中では最も高く、そして賑やかかもしれない。もちろん竹が枝垂れている多屋小路のものも見た目は派手ではあるが、昔に比べると高く揚げられていない。こじんまり建てられていたこれまでの印象とずいぶん違っていた。
デーモンジの話とは異なるが、もうひとつここでは取り上げておきたいことがある。ほかのデーモンジはどうなっているかと周辺のものを見てみたが、小路中のものは既に撤去されていて、上垣外もなかった。いっぽう三ツ谷は今日も建っていたが、今まで気がつかなかったが、ここの道祖神をあらためて見てみて気がついたことがある。なぜか蓮座の上に乗った双体像はかなり風化しているが、その横にある文字碑である。「道陸神」と彫ってあるのだろうが、この道祖神、元は自然石であったのではないだろうか。そこへ後から文字を彫った。しかし石質が変成岩系のため、面が一様でなくうまく彫れなかったという感じ。以前から思っていることだが、数ある道祖神の中には、もともとは自然石のままだった石に、後から文字を彫ったものがあると推定している。三ツ谷の文字碑はその一例のようにわたしは思う。
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