Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

新人研修があった

2020-05-26 23:02:31 | ひとから学ぶ

 今どきの若い人たちは…。

 今日は今年入社した新人たちが、出先に研修にやってきた。新人をどのように育てるか、は悩みの種になっているのは、もしかしたら昔も今も同じなのかもしれない。わたしは入社して半年、本社勤務だった。半年間は基本と人間関係、あるいは対外的な部分を多様に体感したといっても良いのだろう。しかし、技術系の仕事だから、実務は本社にはない。したがって出先のほうが「仕事を覚えられる」という考えもあって、わたしが入社した数年後、新人はすぐに出先に配属されるようになった。しかし、それが長く続くわけではなく、また本社で数ヶ月研修をしたり、またそれがなくなったりを繰り返した。その試行錯誤は今も同じ。昨年まではすぐに出先配属だったが、今年はまず3ヶ月は本社で勤務となった。昔は3年経てば1人前といったが、今は3年で1人前として満足に働ける新人はなかなかいない。したがってなおさら新人の育て方には悩んでいる。とはいえ、1年間は出先でも研修扱いで、仕事量の負荷はないが、わが社では2年目に入ると、すぐに1人前とカウントされ、その分の仕事量が配分される。したがって当事者が仕事ができない分を、同僚たちがカバーすることとなる。これはどこでも同じことなのだろうが、とりわけ「1人当たり」と負荷を意識されることから、人の捉え方は多様だ。いまもって「そこは1人前で勘定できるが、うちはそういうわけにはいかない」と、愚痴をこぼす同僚は多い。したがって新人たちも、相対する同僚たちの意識によってプレッシャーは一様ではないものの負うことになる。そうした負荷のせいかどうかはわからないが、数年のうちに辞めてしまう新人も少なくない。わたしが入社した何十年も前とは、明らかに異なる。その後の生活設計の上で辞めていく社員はいたが(家を継ぐ、あるいは転勤があると困るといった理由で)、それでも10年くらいはかつてはほとんどの新人が勤めたものだ。

 さて、技術系の会社ではあるが、文系部門もある。部門別ではなく一緒の研修だから、専門的なことを研修しても仕方がないと思い、問題意識を持ってもらおうと、すべての研修場所をひとつのストーリーに仕立てて研修を展開した。現地研修なので、関係現場の見学のようなものだったのだが、研修場所を決定したのは本社の新人研修担当。しかし実際の研修の内容は、ある程度任されたので、わたしなりの筋を通した。ようは、その現場の背景のようなものを主旨とした。その背景とは、もちろんどのような経過を辿ってきてその現場があるか、ようは歴史のようなものだ。そしてすべての現場は個別ではなく、何かしら共通点があり、わたしたちの仕事はそうした連関した現場なのだとわかって欲しかった。もちろん解っていただいたかどうかは、わたしの自己満足に過ぎないだろうが…。

 そして彼ら、彼女らに聞いてみたかったのは、「農業をしたことはあるか」だった。なぜならばわたしの入社したころは多くは農家の息子たちだったからだ。さすがに、今は誰一人として農業は知らない。しかし、農業の現場である。いかにして共感を持って仕事に向き合うか、わたしはここではないだろうか、と若い人たちを見てはそう思うのだが、わたしは今までこういう教育的立場に立ったことがなかったので、それを果たすことはできないが…。「帰って何か報告義務はあるの?」と聞いてみると、無いと言う。残念だ。できれば、今日1日のことだけでも良いから、何でもいいのでまとめて欲しいと願うのだか…


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