Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

計算された物語

2010-09-14 12:42:27 | ひとから学ぶ
 ほとんど降伏は見えていたのに侵攻してきた(ポツダム宣言を受諾しても)ソ連。北方四島の領有権は立場上弱者にも見える日本には、解決できない長い歴史を刻むことになった。同じような国境域の争いは、この日本ですら絶えていない。このごろの中国との問題もそれに等しい。平和を掲げたからといって、だから「あなたたちの言うとおりですよ」とは言えるはずも無い事情に、「平和」だけでは解決できないものを感じるのは誰にでもあるはず。それこそ優しい顔をして遠慮していたら、国益は守られないということになるが、そもそもそういう考え方を否定する者もいるのだろう。ただし、歴史を捻じ曲げられるのは、やはり自らを否定するようなものだから、それはそれとしてしっかりと把握しなければならないことだろう。その点、わたしたちは常に正しい歴史を学んできたのかという問いにぶち当たる。

 先ごろNHKBSで放送された「原爆投下を阻止せよ~“ウォール街”エリートたちの暗躍~」の通りなら、アメリカの原爆に対しての理解はおおかたのところ間違っている。無条件降伏が確実なところで日本に侵攻してきたソ連の行動をけん制するかのような原爆によるアメリカの行動は、後には「戦争を早く終わらせるため」という都合の良い理由によって正当化された。アメリカ国内において原爆投下には否定的意見が多かったにも関わらず投下を下したトルーマン大統領の判断は正しいとは言えなかったはず。にもかかわらず正当化された背景には、国益のために日本をどう誘導するかというところにあっただろう。日本の戦後は明確にアメリカによってなされたもの。原爆を投下したという残虐さをも消し去り、仲の良いアメリカという図式を築きあげたのだから、原爆投下否定派にとってもその後の日本へのカバーを忘れなかったことだろう。「原爆投下の2週間前まで、アメリカ政権内では投下反対派が圧倒的多数を占めていた。その理由は、人道面ではなく、ビジネスによるものだった。」(番組紹介より)には、そもそも投下の可否の背景はその後のアメリカの国益を天秤にかけたものである。ソ連への見せつけなのか、それとも戦後のビジネス利益を優先するか、「お国のため」といってそんな計算などどこにもなかった日本は、そもそも戦争するだけの戦略など無かったというわけだ。この国力の差を垣間見ると、当時の日本の姿は現在で言うなら北朝鮮など世界から突出した国政を行っている国とさほど変わらなかったということが言えるのだろう。

 そして計算された物語は、原爆投下という判定をされても、アメリカは日本を誘導し、国益を確実にものにしていった。原爆投下の正当化という事実にその関係は集約されているかのようだ。なぜそうなったのかといってもそれはさまざまな人間が関わった背景の結果であって、またそれを正当化したとはいえ、その事実はまったくゆらぐものでもない。わたしたちの行動は、こうして歴史化されていく。

 まったく話は変わるが、村井仁元長野県知事が、いっときリニアの直線ルートを批判していた。ところがその批判はまったく影を潜め、最後にはむしろ肯定的な雰囲気を醸し出した。それは長野県内の大半の地域に流れ出し、いまや迂回ルートを県が口にすることはまったくなくなったといってもよい。実は直線ルートありきの背景で、すでに何らかの約束がされたといっても良いのだろう。先ごろこの地で反対はタブー視されていると語ったが、もうそのレベルではないのかもしれない。まったく公にはされなくとも裏ではしっかりと何かが動いていく。結論的に人の数には勝てないし、その図式を持ち込めば、小さな地域、あるいは弱者が利用されるのは歴史の常識とも言えるのだろう。アメリカは否定的だった原爆投下を判断しても、日本でのアメリカ友好感をしっかりと育てた。遠いアメリカとの関係がこうなのに、隣国との関係はいまだ戦後を続ける。日本人にはこうした計算が不得意なのだろう。国政のごたごたもまた、日本人らしい姿と受け止め、「国益」などという言葉を軽々しく使うべきではないのかもしれない。そもそも中央はこうして地方を利用してきたのだから。そして地方にはそれが利益だと思っている人がいるということなのだ。そう考えれば、基地問題に揺れる沖縄県民の強さはまさに歴史の上に成り立っているものだと思う。

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