Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

雪国からの贈り物

2015-01-13 23:40:57 | ひとから学ぶ

 この年末年始、はじめは息子は帰省しないと言っていた。ところがいざ年末になると「帰ってくるらしい」、そして事実帰ってきた。理由は雪深い陽の当たらないところから、陽の当たるところに脱出したかったというもの。といっても家にいる間にも雪が降ったりと、けして十分に「陽が当たった」日々を過ごせたわけではなかったが…。なるほど雪国に暮らしていると曇天の空に悩まされる。わたしもそんな思いを常に抱いた時代があった。二十歳ころの5年ほどだったが、今息子が暮らす地域よりももっと雪深い飯山に暮らした。最初の4年間は土帰月来で毎週陽の当たる伊那谷に帰った。最後の1年はときおり帰るだけで休日も飯山で過ごした。ひと晩に1メートル以上の積雪を何度か経験したし、3階建ての屋根の上の雪おろしを何度もしたもの。冬は雪との格闘であったことは確かだ。その雪も春になれば嘘のように消えてなくなってしまう。その労力がほぼ無駄な労力であることは、雪国ではないところに住む人たちには理解しにくいだろう。

 そんな飯山の朝は時おり「これでもか」というほど寒い日があった。雪が降り続いていればそれほど気温は下がらないものの、珍しく陽の登る朝は急激な冷え込みとなった。「雪国は暖かい」とは嘘だと知った時だ。とはいえ陽の当たるのはやはり少ない。北信と言われる地域は、南方の空に青空を拝しながら、居るところでは厚い雲がかかって雪が降る、そんな光景は日常のこと。あの空の下へ、とは思ってもそうはいかないのだ。こんな思いを抱く地を逆手にとったような商い、それがスキー場であったといえる。王滝村では御嶽の噴火に伴って開業できないスキー場もあるという。その地域にとって「逆手にとる」方法でしか生業に生かせないとしたら、徹底的に無駄なものに対価を求める、それがそれぞれの地域の活かし方なのだろう。さすがに雪国にとっては冬のあの空間を知れば、「雪に求める」しかないわけである。

 あえてそんな光景から「逆手にとった」活かし方を学ぶとすれば、人口減を止めることのできない地方にとって、「逆境」なるものを活かすことを考えるしか生きる道はないと思うのだが、さてあまたの地方の政策はどうだろう。たとえば「道を広げる」は「逆手」ではない。もちろん必要なもと捉えられるものなのだろうが、その発想そのものを変えない限り、見た目の「逆境」は消えてなくなってしまう。あの雪深い空間は、見た目も現実も、まったくもって悩み深い「雪」なのである。この先、急激な人口増など見込めるはずもない。消えてなくなる地域があってもそれを食い止めることはできないだろう。しかし、あえて自ら住む空間をかろうじてでも活かせる方法があるとしたら、それは「逆境」の中にあるのだろう。


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