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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

鬼無里十二平の道祖神

2020-10-12 23:18:34 | 民俗学

鬼無里下新倉の道祖神より

 玄関口にあたる下新倉から鬼無里の中心街を経て裾花川沿いに上っていく。祖山を過ぎ、裾花川を渡ったら急な坂道に左折して上っていくと十二平である。集落の西はずれの三叉路に石碑群がある。その中に双体道祖神があり、衣冠束帯の「信州」らしい双体像といえばそうかもしれない。

 双体像を注目してしまうが、何といってもここにも繭型の道祖神が祀られている。それもふたつ。大きさにして高さ40センチほどのもので、目立つものではないが、その形は確かに繭玉型。小さいほうは割れ目が入っていて、風化してわれたのか、もともと割れたものを祀ったのかもは解らないが、あたかも女陰を現しているように、無理に捉えてしまう。ここに祀られている繭型は、ちゃんと立っているので、祭祀物と今も捉えられるだろう。『鬼無里の石仏』(平成6年 鬼無里村教育委員会)に道祖神について次のように記されている。「鬼無里村の道祖神は、(中略)合計でいえば、双体像七体、文字碑一七体、丸石(まゆ型のものなどの総称)三八カ所百数十体、石祠一基が数えられる。丸石が非常に多いのが特徴である。」と。この丸石の中に繭型も含むが、五輪塔の残欠も含まれる。五輪塔の残欠を丸型と形容してよいものかは意見が分かれるだろう、というか明らかに五輪塔の残欠であって、丸石とは言いがたい。なぜそれらを道祖神と称すようになったかが注目されるべきなのだろう。そして、繭玉型のものも、他の地域ではもしかしたら蚕玉神として捉えられるようなものなのだが、それもまた道祖神と称されるようになった理由は何か、とりわけ鬼無里の特徴として繭型道祖神があるだろう。

 

鬼無里岩下の道祖神


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