なぜか例年通りなのは大晦日の午後ともなると道が空いていること。飯田からのメインの道を制限速度オーバーで走れることはめったにない。いつもと違う景色といえば、いつも賑やかに車が停まっているセブンイレブンの駐車場がすっかり空き地になっていることだ。大晦日の人々の行動は、昔とそう変わらないということなのだろうか。とはいえ今は元旦から営業している店も多く、大晦日に必ずしておかなければならないということもなくなった。いっぽう我が家では大晦日といってもふだんと変わらない。年越し感がないのは喪中だからというわけではない。そんななか、兄がいつも通り蕎麦を打って届けてくれた。もう10年来の兄の大晦日の仕事である。どれほどの人のために打っているかは知らないが、兄の打つ蕎麦は玄人並である。蕎麦粉も地元のものを使って打っているから価値ある蕎麦なのだが、いただいてもいつも大晦日には食べていない。元旦の昼ころ、少し食べ飽きたと感じたころにちょうど良いからだ。
さて、今年の日記を振り返ってみよう。
葬儀のこれから
土葬は死者の安定をはかれないのか
枝義理と位牌分け
「葬儀と墓の現在」その後
“坂”のある暮らし
父が亡くなったということもあるのだろう、「葬儀」に関するものがとても多かった1年である。とくに「葬儀のこれから」は今後の自らの終活に生かすべく思いを綴った。ただのつぶやきも多々あるが、より一層“詩”にその思いを綴られるようにしたい。
なんとか年内に大晦日を綴ることができました。明日からが、良い年であるように願います。
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