Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

平日の遠山へ

2015-02-01 23:56:31 | つぶやき

 先週、平日に遠山を訪れた。和田の町へ上村から南下して入ったわけであるが、間もなく小道木から和田までの国道152号のバイパスが開くと言う。日影道であって道も狭かっただけに、ここが開くことは住んでいる人々にとっては念願だっただろう。上新町の遠山中学を過ぎたあたりで小学生が7名縦列で歩いている光景に出合う。手には画板のようなものを持ち、学校へ帰るところのよう。聞けば1学年の生徒数は10名を越えることもあるが、10名を切る学年がほとんどという。合併後の状況はここで言うまでもない。この日は和田にある温泉施設が休館ということもあってか、よりいっそう人通りがないように感じられた。事前に予約した“かたくり”という饅頭屋さんも、そのことを気にされてか「今日は温泉がお休みでよ」と教えてくれた。わたしが温泉を目当てに行くわけではないと答えると、安心されたよう。よそからの人出を左右する施設であることはここから十分に解る。昼前には売り切れてしまうという饅頭を、この日60個ほど注文したが、聞けばこの時期の平日は100個くらいしか作らないという。この日の分の半分以上はわたしの手にあることになるのだが、それでもまだいくつか残っていた。早々に売り切れることで知られる饅頭ではあるが、といって手に入らないほどというわけではない。やはり訪れる人そのものが少ないということになるのだろう。

 同じことは山肉を扱う星野屋さんでも耳にする。この日昼訪れた客はわたしたちだけだった。前日に予約の確認をとろうと電話を入れてもなかなか通じなかった。忙しくて通じなかったわけではなく、おそらくその日は客がなかったこともあって早々に店を閉じたのかもしれない。圧倒的に合併後の和田の町は寂しくなったようす。かつてよく訪れた役場跡を訪れると、まだ周辺の建物は残っているものの、本庁舎はなくなっていた。いわゆる支所にあたる南信濃自治振興センターは遠山川沿いの新しい建物に移っているが、ここで働く市役所職員は5人余という。あの合併劇は何だったんだと思うほど、この村には無用のドラマだったに違いない。しかし引き返せない事実である。和田町でも一人暮らしのお年寄り世帯が多いと言う。自治会の役員を決めるのにも担い手がいなくて苦労するという。三遠南信道への期待も大きいが、素通りするだけ、という危惧も大きい。昭和末期、盛んに仕事で訪れた地が、今ではまったく用のない地になっていることでもその有様は容易に解る。どれほど道が開けようと、ますます遠い地となったこの谷に、明るい兆しはなかなか見えない。


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