Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

郷土意識・後編

2015-01-31 23:39:02 | 信州・信濃・長野県

郷土意識・中編より

 「郷土」とは、「自分が生まれ育った土地。故郷。」あるいは、「その地方・土地。」と解説されている。倉石忠彦氏は『長野県民俗の会通信』245号において“「故郷」の変質と、「郷土」の喪失-地方・故郷・地元・郷土-」”を発表された。わたしの中にある「郷土意識」なるものが、すでに喪失しているのかもしれないと教えられる。NHK朝ドラの「あまちゃん」で歌われた「地元に戻ろう」を例に近年の「郷土」を説かれているが、一般に「地元」とは「郷土」と異なり、出身地という観点では「郷土」がより適しているとわたしは思う。しかしながら近年「地元学」なるものが目立つようになった。おそらく地域を見直すという行政の施策に並んで芽生えてきたものではないかとわたしは想像する。そこでは「郷土」と冠すると限定的になりかねないため、あえて充てられてきた単語ではないのかと思う。しかしながら倉石氏はすでにかつての「郷土」は「地元」にとって代わられられてきていると述べる。「郷土」を「死語」となりつつある、とも言い切る。

 結局人々の流動性が「郷土」という単語を喪失させているのではないだろうか。以前出身地について記したことがあるが、そもそも「出身地」ほど近ごろ曖昧になっているものはない。生まれた場所は出生地というだろう。それをもって出身地とする場合もあるが、「育った土地」をもって「出身地」とする場合もある。しかしながらそうすると出身地が複数存在する人も今は多い。人それぞれ出身地とはどこかを選択して「出身地」としているのだろうが、それだけ「生まれ育った土地」が限定的ではなくなっている。「郷土」意識が減退しても仕方ないことだとは思う。そしてもし死語となるのなら、生まれ育った地への意識も喪失するに違いない。倉石氏は「「ふるさと」の変質と、「郷土」の衰退とは、単に言葉の問題にとどまるだけではなく、これからの日本民俗学のありかたと、深くかかわっているように思われるのである」と述べている。近ごろ「ふるさと納税」が話題にのぼる。これは自分のふるさとに納税するという意図ではなく、自分が支援したいと思う地域に納税するというもの。しかしながらこの場合の「ふるさと」の定義について誰も違和感を持たない。人々にとっての「ふるさと」とは、必ずしも生まれ育ったところだけではなく、イメージとしての「ふるさと」も存在するようだ。それは理想郷のようなものもそういう位置づけになるのだろう。こうなるとかつての「郷土」意識なるものも死滅するのはあたりまえだろう。自ら生まれ育った地よりも、より理想の地を求めて人々は安住地を求めることになる。それだけ生まれ育った地への帰属意識が喪失しているということ。

 さて、前回『伊那』と『伊那路』を例にとって自らの立ち位置とはどこにあるのか、ということについてわたしが記した「伊那谷の南と北」(『伊那路』626号)からの引用で触れた。境界域に暮らす者にとっては、自らの地域に隣接する地域にも興味を抱くのが「当然」と思っていたものの、そうではない現状を垣間見た。ではなぜこれら郷土研究をする団体に所属するのか、と問いたくなる。人に勧められて入っているというひとも多いのだろうが、自らの住む地域のことだけ解れば良い、程度に捉えている人も多いのだろう。外部からやってきた人に「この地域では…」で始まる話を聞くたびに違和感を抱いていたわたしは、意識過剰だったのかもしれない。しかしながら周縁部にいるからこそ、地域差を自ら意識せざるを得ない話をたくさん耳にした。それを解決する策は、やはりこの壁の向こうまで足を伸ばしてみなければ解らないこと、と思ったし、事実実行することで不明瞭ながらその意識を知ることができた。なぜ人々は表面的な部分だけで地域差を口にするのか、それはイメージ化されたものなのか。そんな違和感を解消するべく、いまだ境界域においてまだ活きている「郷土意識」を探っている現状なのである。

終わり


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