テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



・・・(タイトルからのつづき)・・・、ちくわと対話しながら演奏しなければならないと言えるだろう。」
2006年2月1日付日本経済新聞文化面「ちくわ笛に命吹き込む」―住宅正人―より。

朝の通勤電車の中で日経新聞読んでいて、ニタニタ笑ってしまった。筆者はおおまじめなのである。全文を読むと、本当に真摯な態度でちくわ笛に取組んでおられることがよくわかる。しかし、その一途さが、大変失礼ながら、滑稽でもある。

楽器の話なので当然にテルミンと比べて考えてしまう。すると、テルミンはその演奏中、いかに楽器そのものからの反応、手ごたえのない楽器であるか、ということに思い至る。
それは楽器に一切触れないで演奏することで、そうなるのだが、この点がどうも心許ないところだったのだ。
楽器そのものを体で感じることができない(もしくは、できにくい)。

おそらく、これは4本足のスピーカー内臓の木製テルミンなどの場合、床を伝わる振動や、楽器の筐体から発する音や振動で、その反応も感じられるのではないか、と思う。
先だって、テルミンのレッスンのときに竹内先生のSeries91で音を出させてもらったが、その際に発した、「楽器!、という感じがしました。」というこどものような私の感想は、分析的にいうと、このようなことなのだろうと腑に落ちた。

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