花咲爺さんの独り言

昔は花を咲かせた事もあったのか? 自慢話ばかりするお爺さんです。歳に似合わず山登りや庭園鉄道、カメラいじりが大好きです。

四半世紀前の想い出 -その9- (ナポリ・ポンペイ)

2013年10月07日 00時18分30秒 | 旅の想い出
ローマの市内観光を早目に切り上げ、バスはオプション希望者だけを乗せてナポリに向いました。



バスがナポリに到着したのは夕方近く、車窓から眺めるナポリの港にも夕闇が迫っていました。
先ずはホテルに直行ですが、その前に添乗員から改めて治安上の注意事項をくどい程聞かされました。



ホテルで一風呂浴びたらみんなお揃いで「カンツォーネの夕べ・ディナーショー」に出掛けました。ディナーショーと言う割には粗末な食事でしたが、声量豊かな歌手による日本人好みの「ナポリ民謡」は、一見(一聴)の価値がありました。







翌朝(現地時間5月1日)ホテルを出て、次の訪問地ポンペイに向かいました。上の3枚の写真はナポリ市内の風景です。今日は快晴の為、何処を見ても色鮮やかな風景でした。



ポンペイに到着。先ずは遺跡前で記念撮影。後方に雲を頂くのがヴェスヴィオ山です。この山の噴火でポンペイの街は一瞬の内に火山灰で埋め尽くされてしまったのです。











西暦79年のベスビオ火山の大噴火でポンペイの町は火山灰に埋もれてしまい、およそ1700年の時を経て初めて本格的な発掘により古代都市が出現したのだそうです。私たちも発掘によって現れた劇場や公衆浴場、下水道、パン屋の石臼まで見ることが出来ました。





ポンペイの遺跡見学を終えると、また一路ローマに引き返しました。この日はメーデーとあって「ローマも休日」(?)、途中多くの人出に会いました。でもそこが何処だったかは、幾ら考えても思い出せませんでした。  その後、ローマで丸1日の自由時間を過ごし、シンガポール経由で帰国しました。
今回の旅行記はこれをもって終わりとさせて頂きます。ご覧頂いた方に深く感謝いたします。

お断り: 今回使用した写真は、アルバムに貼られたプリント写真を、再度カメラで複写した物です。よってきわめて画質が悪く、鑑賞に値する物ではありませんでしが、記録として恥を忍んで掲載しました。その点ご理解の上ご了承下さい。

  宜しかったら過去の記事もご覧下さい。
四半世紀前の想い出 -その1- (序文)
四半世紀前の想い出 -その2- (ロンドン1)
四半世紀前の想い出 -その3- (ロンドン2)
四半世紀前の想い出 -その4- (ロンドン3)
四半世紀前の想い出 -その5- (パリ1)
四半世紀前の想い出 -その6- (パリ2)
四半世紀前の想い出 -その7- (シャモニー)
四半世紀前の想い出 -その8- (ローマ)





四半世紀前の想い出 -その8- (ローマ)

2013年10月04日 23時41分36秒 | 旅の想い出
昨日、『 明日からイタリヤ旅行に行って来ます 』と挨拶に来てくれた人がいたので、つい自慢げに私達夫婦がヨーロッパに行った時のアルバムを見せることになりました。
そしてその時思い出したのですが、今年の2月11日からこのブログで「四半世紀前の想い出」と題して7回ほど連載してきた紹介記事が、ローマの手前で中断したままになっていました。取るに足らない内容ではありますが、中途半端で終わらせるのは良くない事だと、残る「ローマ」と「ナポリ・ポンペイ」を紹介して締め括る事にしました。


前回はシャモニーを出てモンブラントンネルを潜るところまででしたが、トンネル出るとそこはもうイタリヤです。 バスはアウトストラーダ A1(別名「太陽の高速道路」)をひた走り、ローマの手前で1泊しました。




翌4月30日(現地時間)は、朝から午後3時までローマ市内観光です。1枚目の写真は「ヴィクトル・エマヌエル二世の記念碑」、2枚目は「サンタンジェロ城」です。



次はツアーには付き物の工場(?)見学。ここはローマなのですが、入ったのはベネチュアガラスの工房でした。


工房を奥に進むとそこは売店です。「製造直売だから安い?」と洗脳され、つい「コップと水差しのセット」を買う羽目になりました。





ここは有名な「トレビの泉」です。今回の旅行で最も期待していた名所の1つでした。後ろ向きでコインを泉に投げ入れるとまた来る事が出来ると言うので、家内と1個ずつ投げ入れましたが、果たしてこの歳になって2度目はあるのでしょうか??





次に向ったのが「バチカン宮殿」でした。ここはご存知、イタリアに有っても完全な独立国、立派な宮殿は派手な衣装をまとったスイス人の衛兵で守られていました。
この宮殿も見学しましたが、一番印象に残ったのはこの天使達(キューピー?)の像でした。





最後は「コロッセオ(円形闘技場)」です。外部からの写真は良く見かけていましたが、内部からは全貌が見渡せる為、その巨大さに驚嘆しました。また今は1階の床が崩れ落ち地下の構造まで見渡せました。
その昔、観衆の目の前でキリスト教徒達が猛獣に食い殺されたりした場所と聞くと、とても複雑な気持ちになりました。

午後3時、またバスに乗り次の目的地ナポリに向かいました。次回は「ナポリ・ポンペイ遺跡めぐり」を紹介して最後にしようと考えています。






四半世紀前の想い出 -その7- (シャモニー)

2013年03月26日 21時57分18秒 | 旅の想い出

午前中、オプション(10,000円/人)でベルサイユ宮殿を見学した後、午後はフランス新幹線に乗ってパリのリオン駅からスイスのジュネーブまで移動です。ここリオン駅はパリから南東に向かう列車の始発駅になっています。





フランス新幹線TGVは、日本の新幹線とは一味違う斬新なデザインでした。出発前にお登りさん定番の記念撮影です。衣装が前回(-その6-)と変わらないのは、たった午前と午後の違いだけだからです。



フランス新幹線TGVは時速270km/h、ジュネーブ(コルナバン駅)まで約4時間の旅でした。移り変わる車窓の風景も素敵でしたが、ラウンジで生ハムを肴に飲むワインの味は格別でした。





ジュネーブは単に通過点、コルナバン駅からバスに乗り一路シャモニーを目指します。途中、レマン湖の大噴水が私たちを迎え、また見送ってくれました。



シャモニーの宿は一見山小屋風、照明もロウソク風でムード満点です。明日はいよいよモンブランに会いに行く日です。ワインの力を借りて早めにベッドに潜り込みました。



ここでシャモニーとモンブランの位置関係を確認しておきます。シャモニーは標高1030mですが、ここはらケーブルカーを乗り継いで、エギュイュ・ドゥ・ミディ3842mまで登ります。ここから遥か向こうに聳えるモンブラン(4807m)を展望するのです。



ここがケーブルカーの乗車駅です。私たちツアー客の他は、ほとんどがスキー客ですた。エギュイュ・ドゥ・ミディからここまで滑り降りたとしたら標高差2800m有りますから、さぞかし滑り応えが有るでしょう。中にはイタリヤ側に滑り降りるスキーヤーもいたようです。



ケーブルカーは一旦途中で乗り継ぎますが、トータル2800mを約30分かけて登ります。



ここがケーブルカーの終着駅エギュイュ・ドゥ・ミディの展望台です。360度の展望は筆舌に尽くし難いものがありました。早速モンブラン山系を背景に記念撮影を撮りました。
モンブランの山頂は、私の宝物「モンブランの万年筆」のキャップに良く似ていましたし、ペン先に刻印された「4810」の文字で、その高さはここに来る前から知っていました。
( 先程のパンフレットには、標高が4807mになっていましたが、3m程崩れたのでしょうかね?)



これは展望台で一緒になったスキーヤーのカップルです。私たち夫婦と違って、とても様になっていました。これからどちらに向け滑り降りるのでしょうか? フランスでしょうか? イタリアでしょうか? それともスイスでしょうか?



これがモンブラン山系の全体像です。3枚の写真でようやく納める事ができました。



これはケーブルカーの降りで撮ったシャモニーの街です。そのほとんどが山岳関係の観光で成り立っているようです。



やっとケーブルカーの始発駅にたどり着きました。この時間になると朝のラッシュが嘘の様に静まり返っていました。周囲にあるのがスキーを立てかける設備(器具)ですが、この時間は1本も有りませんでした。



午後はイタリヤへ向けて出発です。昔は山越えに多くの時間を費やしたようですが、1965年に開通したモンブラントンネル(全長11.8km)を潜れば、その先はもうイタリヤです。トンネルの入口にトンネル開通の記念碑が建っていました。

後日談: 
1999年にこのトンネル内でトラックの燃料漏れから火災が発生して、死者39名、負傷者27名と言う大惨事が起きたそうです。2国で管理していたため連携の拙さが大惨事に至ったとか・・・

他人の旅行記なんで面白くも何とも有りませんのに、辛抱してご覧頂いた方に感謝いたします。いよいよ次回はローマに移ります。


四半世紀前の想い出 -その6- (パリー2)

2013年03月07日 22時00分18秒 | 旅の想い出
昼間は市内観光で色々と見て廻りましたが、夜はオプション(希望者のみ)で、「セーヌ川船下りとフランス料理・シャンソンの夕べ」と称するディナークルーズに参加しました。料金は1人当り28,000円と庶民には破格の値段でしたが、二度と来る事はないだろうとの思いと、30年苦楽を共にしてきてくれた家内へのプレゼントの意味も込めて奮発しました。



16世紀後半、カトリック同盟とアンリー四世が和議を結んだ事に因んだ付けられた「和議の河岸」が、観光船の発着場でした。



ノートルダム寺院をバックに、セーヌ川を進む観光船です。この写真はパンフレットから借用しました。



私達がたどったコースは、まずAの方向に進み、エッフェル塔までいって引き返し、今度はBの方向へと進んで、シテ島に建つノートルダム寺院を見て引き返すコースだった思います。


この案内図では、エッフェル塔から更に右に行くコースもあるようですが、私たちはエッフェル塔を見たら引き返したような記憶があります。



こちらは矢印の通り全て廻りました。こちらのコースでの圧巻は、何と言ってもシテ島に建つノートルダム寺院です。それも赤い矢印の方角からが一番美しいとされています。



午後7時に乗船し、直ぐにディナーの始まりです。とても陽気なボーイさんが先ずワインを注いでくれました。



ディナーで同席したのは、アムステルダム辺りから、それとなく親しくなったカップルと、一人で参加されていたご婦人でした。先ずはワインで乾杯です。



日は落ちたものの、まだエッフェル塔はうっすらと望むことが出来ました。



ただエッフェル塔の真横を通過する時点では、出てきた料理に夢中で、それには気付かなかったようです。エッフェル塔を見てもお腹は膨れないし、美味しくもありませんからね。



これはメインデッシュの出てきたところだったでしょうか? 料理の名前は忘れましたが皆さん良く食べました。きっと美味しかったのでしょう。暗くなってからの照明はテーブルのロウソクだけになりムードも盛り上がりました。



これはシテ島に建つノートルダム寺院の横を通過するところです。光量不足と酔いの加減でぶれた写真になりました。



セーヌ川の川下りのもう1つの見所は多くの橋です。その一つひとつが永い歴史を持っており、かつ芸術的にも、とても優れているからです。クルーズも終わり頃になってそれに気付き、1枚だけカメラに収めました。



食事の最後に出されたデザートです。皆さんこれもぺろりと平らげました。28,000円の元は取れたでしょうか?


そして次の日、訪れたのがベルサイユ宮殿です。ここもオプションで料金は一人当り10,000円でした。



ベルサイユ宮殿前で記念のツーショットを1枚撮りました。まだこの頃は髪も少しは残っていました。(笑)



開門前入口にたむろする若者達です。良く見ると何処かの高校の修学旅行のようにも見えました。





色々部屋を見て廻りました。何処もここも絢爛豪華な造りに圧倒され、やや食傷気味になりましたが、裏庭に出て広大な緑に接したら、気分も徐々に回復しました。


午後はリヨン駅からTGVに乗ってジュネーブに向かうのですが、それはまた次の機会にご報告させて頂きます。


四半世紀前の想い出 -その5- (パリー1)

2013年03月01日 22時30分18秒 | 旅の想い出
前回はホバークラフトでドーバー海峡を渡るところで終わりましたが、今回からはいよいよフランスです。



到着したのがフランスのカレーの港。ここからパリ市内までは直線距離でも200km以上あるため、今日の泊まりは中間地点のアミアンです。のどかな田園風景をバスはひた走りました。



アミアンに到着したのは日も暮れてからだったので、街の様子はわかりませんでしたが、翌朝外に出てみると真近にアミアンの「ノートルダム大聖堂」が立っていました。後で判った事ですが、この大聖堂は単独で世界遺産なんだそうです。また外観がパリのノートルダム寺院ととても良く似ていました。



アミアンでの観光はノートルダム大聖堂だけに留め、直ぐにパリの向かいました。そして先ず訪れたのが「モンマルトルの丘」の上に立つ「サクレクール聖堂」です。ここからはパリ市内が一望できるし、似顔絵画家たとが集まる「テルトル広場」(別名画家の広場)もありました。ここで絵葉書代わりにパリの観光スポットが油絵で描かれたコースターを買いました。



「カルベールの石段」(階段)の入口です。記念に少し登り降りしてみました。何でも日本の荻須高徳画伯が「モンマルトルの街灯」と題して絵を描いた場所の様です。



続いて行ったのが、「ムーランルージュ」(車窓)です。ロートレックが通い詰め踊り子達を描いた事で皆さんもご存知の場所です。話によれば、第2次世界大戦の最中、ナチスに占領された時も営業を続けたそうです。



この建物は「パリオペラ座」(車窓)です。とても立派な建物でした。



続いて、高級ブティックやデラックスホテルの立ち並ぶ世界で一番豪華な広場と言われる「ヴァンドーム広場」や、エジプトのルクソール神殿から運んできたオベリスクの建つ「コンコルド広場」を散策しました。この写真はコンコルド広場にあった彫刻の1つだったと思います。



次はいよいよ「ルーブル美術館」です。先ず出迎えてくれたのは「ミロのビーナス」でした。



これも有名な「サモトラケのニケ」です。



「ナポレオンの戴冠式」の前を通り過ぎようとしているのは、何処かのツアー客のようです。



こちらはドラクロワの「自由の女神」です。何度も写真で見た事があっても、実物の前に立つて受ける感動はまた特別でした。



ルーブル美術館を出て次に向かったのが「ノートルダム寺院」です。これは正面入口の方から撮った写真です。当然正面入口から入りましたが、内部を見終わったら直ぐにガイドさんが裏側に連れて行き、『最も美しいのは此方なんですよ』と教えてくれました。確かに絵葉書の多くは斜め後方から撮った物でした。 ( その写真は後日紹介します。)



ノートルダム寺院のステンドグラスの1つです。この他にもバラ窓と呼ばれる大円形のステンドグラスも有りました。





続いての市内観光は、凱旋門、エッフェル塔とお決まりのコースです。



この場所はエッフェル塔を真正面に眺める事のできる場所で、これまたツアーのお決まりの所のようです。今年の1月にフランスを旅された F'Trackさんもこの場所で写真を撮っておられました。その時の写真を拝見したら季節こそ違え、今も昔(25年前)も何も変わっていない様子でした。

次回はベルサイユ宮殿とフランス新幹線TGVの旅を予定しています。

四半世紀前の想い出 -その4- (ロンドンー3)

2013年02月20日 18時28分00秒 | 旅の想い出
2日目のロンドンは、行程表では午前中ショッピング(自由行動)になっていましたが、添乗員さんの計らいで、バッキンガム宮殿の衛兵の交代式を見学する事になりました。

衛兵のパレード(交代式)は午前11時半だと言うので、市内の観光地を幾つか廻りました。





今では何処が何処だったかハッキリしません。街角ではかっこいいロンドンのお巡りさんが、必ずペアで巡回していました。



ここが衛兵の交代式が行われるバッキンガム宮殿前の広場です。( この写真、初日の市内見学の時にも使いましたが、本当は2日目に撮った物でした。)



宮殿前には1時間前に到着したものの、すでに沢山の観光客で埋まっていました。フェンスの中で何かが行われているらしいのですが、残念な事に背の低い日本人には全く覗けませんでした。しかしその時若い外人の女性が『写真を撮ってあげましょう』と言ってくれ、連れの男性に肩車されて写真を撮ってくれました。その写真がこれです。当時はデジタルカメラではなかったので、撮った映像を直ぐには確認できず、帰国後初めて確認できましたが、それは宮殿内の衛兵が、交代の準備のたに整列したところでした。思いがけない所で思いがけない外人さんの気遣いに接し、ジ~ンと来るものがありました。



午前11時半、いよいよパレードが始まりました。ワンちゃんが先導役で、先ずは音楽隊の行進です。目の前をいろいろな楽器を手にした隊員が進んで行きました。







次は小銃を持った隊員たちが進みます。これを見て直ぐに連想するのは「オモチャの兵隊のマーチ」でした。そのモデルとなった本物に、こんなに身近に接している自分が嘘のようでした。



この一連のパレードの写真をご覧になって、大方の方は既にお気付きでしょう。そうです私たちの居る場所は宮殿の正門前で、かつ観衆が人一人前に居ない(邪魔が何一つ無い)場所なんです。こんな恵まれた場所で心待ちにしていたパレードが見られるなんて夢のまた夢でした。何故そんな事ができたのか、実は警備のお巡りさんが人ごみの中でうろうろしている私たちを見つけ、人ごみをかき分けて前に出してくれたのです。もちろん周囲の外人さんたちもそれに協力的でした。
後で考えてみたら、多分背の低い家内を見て気の毒に思ってくれたのでしょう。私一人ではこんな好意を受ける事は無かったでしょう。家内のお陰です。 






パレードも終わり、昼食も済ませたら後は次の目的地パリに向けての移動です。カンタベリー郊外をバスで走りぬけ一路ドーバーの港に向かいました。



ドーバーの港が見えてきました。ホバークラフトの発着には海に面した広くフラットな土地が必要で、一般の船舶とはちょっと離れた所が乗り場だったような記憶があります。


いざホバークラフトに乗船です。ホバークラフトは予想以上にでっかい物でした。前後左右にある4基のプロペラが推進用です。



この写真は絵葉書です。中央が車両、左右が乗客のスペースになっています。浮上する為には設置面積が広く必要な為、とても幅の広い形をしています。



一般的にホバークラフトは騒音や揺れがひどいと言われていましたが、それ程感じませんでした。それよりも時代の最先端の乗り物に乗れる興奮の方が大きかったのでしょう。
出航するとまもなく客室乗務員が免税品を売りにやって来ました。もうここは一国の支配が及ばぬ公海上なのです。ただ、まだ旅は長いのでみやげ物などは買いませんでしたが、ビールかスコッチを飲んだような気がします。
この英仏海峡(俗にドーバー海峡)のホバークラフトは2000年10月に廃業になった様で、この記事を見て乗りたいと思われても後の祭りです。 念のため申し添えておきます。残念ですね。(笑)

3回にわたってお伝えしてきた「ロンドン」もこれで終わりです。いよいよ次回からは「パリ」に移ります。拙い写真や文章ですが、またお付き合い頂けたら幸いです。コメントも歓迎します。

四半世紀前の想い出 -その3- (ロンドン-2)

2013年02月18日 18時15分00秒 | 旅の想い出
第1日目のロンドン市内観光を終えてホテルに到着。一風呂浴びて、大阪を出てから着の身着のままだった衣服を取り替えました。
今夜はこれから、旅行社の行程表によれば「英国エリザベス朝ハットフィールド宮殿の晩餐宴」に出席するのだとか、正装をして参加してくれとの注意もあり、一応その為に用意したスーツとネクタイに着替えて出かけました。



この写真が「ハットフィールド宮殿」の全景(絵葉書から転用)です。エリザベス1世が幼年時代のほとんどを過ごした事でも知られる由緒ある館だそうですが、今では「ハットフィールドハウス」と言う呼び名の方が通用するようです。私たちは夜でしたが、昼間はイングリッシュガーデンでも有名な所のようです。



バスで1時間以上もかかって到着した時には宴もたけなわ、「エリザベス朝風のショー」も始まっていました。今日は機内での昼食以降何も食べていなかったので、ショーはそっちのけで先ずは皆さん食べる事に専念しました。ただ出てきた食事は「晩餐宴」には程遠く、じゃが芋が主体の料理だった様な記憶しか残っていません。





ディナーショーの出し物は「エリザベス朝風」の寸劇や踊りで、あまりストーリーの有るようなものではありませんでした。でも女王様と王女様(?)はとても綺麗だったので、その仕草を見ているだけで満足でした。( この件は家内には内緒です )



帰り際に女王様にツーショットを手振りでお願いしたら、快くOKが出ました。今回「ヨーロッパ10日間の旅」で沢山の写真を撮りましたが、振り返ってみると、この時の顔が一番幸せそうでした。



これは多分、王女様だと思いますが、女王様と比べると、とても若くてとても綺麗な方でした。本当はこの王女様とツーショットが撮りたかったのですが、よォ~言い出せませんでした。そして後で後悔しました。 花咲爺さんもまだ若かった時のお話です。(笑)


次の機会には、ロンドン2日目の様子( バッキンガム宮殿の衛兵の交代式 )を中心にご報告する予定です。

四半世紀前の想い出 -その2- (ロンドン-1)

2013年02月15日 20時02分21秒 | 旅の想い出
序文でも申し上げましたように、私達夫婦は結婚30周年を祝って「ヨーロッパ 10日間に旅」に参加しヨーロッパを旅しました。もう四半世紀も前の事になりますが、当時を懐かしく振り返ってみようと思います。



1987年4月24日9:00に大阪空港を発ち、東京→シンガポール→マレ(モルジブ)→バーレーン→ウイーン→アムステルダムを経由して、ロンドンには25日14:00(現地時間)に到着しました。今でもこんなルートはあるのでしょうか? 長い長い空の旅でした。



ロンドンの空港に着くと、直ぐにバスに乗り込み市内観光へと向かいました。皆さん長旅の疲れも見せず右に左に移り変わる車窓を眺めていました。( 大型バスにツアー客21名と添乗員・ガイドを加えても23名、やや贅沢に席を移動できました。)



郊外の沿道には沢山の民家が立ち並んでいましたが、思ったより敷地が狭いのと、煙突がやけに多いのが印象的でした。そして、つい映画「メリー・ポピンズ」の中で唄われていた「♪チンチムニー チンチムニー チンチームニー♪」の歌を思い出しました。こんなに煙突が多いと煙突掃除屋さんも成り立つ訳だと・・・



ロンドン市内に入るとあの有名な2階建のバスにも出会いました。この2階建のオープンカーは、昨年ロンドンオリンピックに参加した選手達の凱旋パレードに使われたのと同じ物のようです。そう言えば昨年秋には広島サンフレッチェの優勝パレードの際にもこれを見ました。



市内観光で先ず最初に向かったのは、エリザベス女王のロンドンの公邸でもあるバッキンガム宮殿でした。当初の予定では前の広場を散策するだけだったのですが、ここで最も有名なのは「衛兵の交代式」なので、明日出直す事になりました。皆さんの声なき声を感じ取った添乗員とガイドさんの英断(?)でした。



これは「ビッグ・ベン」、ご存知のようにウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)の時計台です。ここではバスから降りて周辺を散策しましたが、「ビッグ・ベン」は余り近くから見上げて首が疲れました。やはりここは対岸の橋の袂から見るのがベストの様です。



これはウエストミンスター寺院です。エリザベス女王の戴冠式も行われた所です。



この一団が、今回一緒に旅をしたツアーの皆さんです。



ここは確か大英博物館です。見て廻ったら丸一日でも足らないでしょうが、今回は車窓から眺めるだけでした。この他にもセントポール寺院にも寄りました。


これはテムズ川の対岸から眺めたロンドン塔です。1078年に征服王ウイリアムによって要塞兼宮殿として建造された物のようですが、その後「血塗られたロンドン塔」とも言われ、明るいイメージはありません。



市内見学の最後にはテムズ川に架かるタワーブリッジでした。

今夜は「英国エリザベス朝ハットフィールド宮殿晩餐会」に出席する為、ここらで市内観光は終わりとなりました。 これからホテルに帰って正装に着替えて出掛ける事になっています。 その「晩餐会」の様子は、また次回にお話し致します。

お願い:カメラの時差修正を忘れていましたので、写真の日時は無視してください。



四半世紀前の想い出 -その1- (序文)

2013年02月11日 20時05分09秒 | 旅の想い出
この記事を書くに至った経緯
このブログを良く訪ねて来て下さり、コメントや助言を頂いている F'Trackさんが、最近フランス旅行から帰られ、自身のブログで紹介されていました。そのブログの記事や写真を拝見していたら、私達夫婦も四半世紀前にヨーロッパ旅行をした事を想い出し、色々コメントを取り交わさせてもらいました。
その結果、同じ25年前に F'Trackさんもパリに滞在しておられたと言う事も知りました。そんな奇遇もあって、F'Trackさんから『当時の旅の様子を紹介して欲しい』と懇願(?)され、とうとう受諾する気になったのです。
何となく恩着せがましく書きましたが、私もこんなチャンスを与えて頂いたのを機に、四半世紀前を懐かしく振り返れるのは満更でもありません。これを機会にまた夫婦の絆がより強くなるかもしれません。(笑)




先ず私達夫婦のヨーロッパ旅行ですが、結婚30周年記念を祝って、ツアー「ヨーロッパ10日間の旅」に参加しました。まだ現役の時でしたから休む事がはばかられ、5月の連休に掛かる様にして、非難の目を和らげた様な記憶があります。
今回このブログで紹介するに当たって、先ずアルバムを探してみました。そして出てきたのがこのアルバムです。No.1~No.8までと総集編を合わせて9冊有りました。よくも小まめに撮ったものです。



これが旅の経路です。ウイーンとアムステルダムは給油や乗り換えの為の経由地です。よって次回からのお話はロンドンからスタートする事になります。


このブログをご覧になる方へのお願いとお断り
★出来るだけ綺麗な写真を掲載しようと、当時のフィルムを探しましたが見当たりませんでした。よってここで掲載する写真は、アルバムの写真を今一度カメラで撮り直したものです。画質が悪いのは大目に見てください。中でも車中からの写真は手ブレもあり荒れています。
★このブログは不特定多数の方がご覧になる事を前提に、個人のプライバシーに関わるような写真は、極力避けています。ですがそんな写真にこそ、自慢したくなるようなベストショットが多いんですよね。(残念です)
★なにせ四半世紀前の事ですから、写真の説明などで、勘違いによる誤った記述をするかもしれません。お気付きの方は遠慮なくご指摘下さい。
★カメラに時差調整がなされてなく、厳密な日時で無い恐れがありますので、日付けは無視してください。
★このブログ「花咲爺さんの独り言」は、鉄道模型(Gゲージ)を主体としていますので、「旅行記」の掲載は途切れ途切れになるかも知れませんが、その点はご容赦下さい。
★このブログをご覧頂いた方は、出来るだけコメント欄で感想をお聞かせ下さい。励みになります。