あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

自己犠牲について ブログのタイトルと話が違ってますが、

2014-08-04 12:55:18 | 自己犠牲について
このまま、人間の弱さと自己犠牲などについての話を続けます

「こうあらねばならない」に疑問を感じてきたのは何年前くらいからだろう
私はもう少しで老人の域に達するらしいけど、
肉体と精神は見事に調和せず、頭の(心の)中は、未成熟らしい
けれど、成熟した大人がどれくらいいるだろうかと思うと
それも昨今いささか疑問に思うけど
私は団塊の世代よりは少し下だけど、ほぼその辺の年齢でって
この辺りで肩が痛くなって書けない、やっぱ年です
又後で

13:50
少し痛みが減った所で再開
あちこちに話が飛んでいるので、長々キーボードを打っていると
頚椎症が悪化するので、簡潔に

いきなり結論
自己犠牲について
まず、人は平等である
あなたも、私も同等の位置にある
ただし、生まれ持った能力は同じではない
性格・頭脳・才能、能力・体力・健康等など
で?(又長くなりそう、の説明癖

例えば能力の優れた者は、劣った者をカバーする必要性があるか
必要性という言葉がおかしければ、義務?
例えば包容力について、狭量な者の冷酷さを包容力のある者がカバーすべきか
責めるべきではないか、許すべきことか、指導すべきか

コルベ神父の場合、自分の身を投げ出し、代わりに人一人の命を救った
この場合、「自己犠牲すべきである」と信じている者にしたら
コルベ神父の行いは崇高なもので、真似できることではなく
その勇気は賞賛されるべきである
では?それの出来ない者は、己の不甲斐なさを恥じ入るべきなのか
同じ行為を勧められるのか?責められるのか?
では、逆の立場に立って考えると、コルベ神父が反対側にいた人間であったとしたら
身代わりを申し出た人物に対して、有難うと言って代わりに死んでもらうのだろうか?
神父という特殊な職業だからこその考え方で、逆の立場であったなら
身代わりの申し出を有難く気持ちだけ受けて、自分が死んだのだろう
では、自己犠牲とは何なのだ?
身代わりに生きた人はずるいのか?人の犠牲の元に生き延びたと言われるのか?

はい、書いていて大混乱

つまり、コルベ神父の場合、身代わりになった人よりも
コルベ神父は、自己犠牲においてより強くあらねばならない
人の命は同じだ、平等だ
では、何故コルベ神父は、身代わりとなって死んだのか
ここで、命は平等ではない、という思いが生じる
あるいは、命ではなくその人の考える「こうあらねばならない」の基準

私は以前、このコルベ神父の自己犠牲に対して、絶対に自分は死の恐怖から
人の身代わりを申し出るなどという事はできないから、
自分はそういう、「卑怯で情けない人間だ」と思っていた
果たしてそうだろうか、といつからか思うようになった
「自分は相手よりも崇高である、だから相手の立場を慮って自分を犠牲にしよう」
この考え方は、そう思っているのではなかろうか、と思うようになった

自分は相手よりも上の心にある?
言葉によっては汚くなってしまうので、言葉が中々見つからないけれど
少なくとも同じとは思えない
皆命は惜しい
生きたいというように、動物は作られている
そうでないと、種が絶えてしまうからではないか、と最近思っているけれど

で?
遠藤周作の「踏み絵」の話
弱さによる裏切りの話

つまり、強さと弱さを、人の心を計る?

偉人伝の人である私は、自己犠牲の究極まで出来ない自分をダメな人と思っていた
私は強くはなく、場合によっては卑怯な事もする人間だと知っている
できる限りそういう事はしたくないけれど、
で、これら曽野綾子先生の究極の自己犠牲話が、どうもカチンと来るのである
この話を度々する曽野綾子先生の意図や如何に?なのである

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雑感 作家について 浅学ではありますので

2014-08-04 10:48:01 | 自己犠牲について
昔、私は主人に言わせると「偉人伝の人」なんだそうだ
これをどう解釈するかというと、例えば馬鹿正直で
こうあらねばならないとし、そう教え込まれたら、そう信じ込むタイプというか
私は伝記物語を信じた

そして、記憶にあるのは、教育委員会の視察?
確か小学5年生か6年生の頃、私は一冊の伝記本を先生から渡され?
それを読んで、その感想を教育委員が視察に来た時に発表?するようにと言われた
本は何だったっけ?
もしかしたら野口英世?もう昔の話なので忘れてしまった
数年前なら覚えていたかも。
で、言われるがままに、きっと先生や教育委員に都合のいい感想を述べたに違いない
授業も私だけその為に割いていいと言われていた
確か6年生だったかもしれない

キュリー夫人、野口英世、それが印象に残っている
実際の人物像は、子供が読む「聖人君子」とはわけが違っていたにも拘らず
そんな事はつゆ知らず

又、例え教師や親がどんな風に教育しようと、クラスの殆どの子はずるかった
または自分勝手だった
または、意地が悪かったし、言うことなんか聞かなかった。。裏で
で、私は決して優等生ではなかったが、一部いい子だった

それが、どう作家と繋がるかって言うことなんですが

遠藤周作のキリストとの関係
曽野綾子のキリスト教との関係
そして、天上の青との関係、に少しだけ繋がってきます

曽野綾子さんの「コルベ神父」の話
遠藤周作の「踏み絵」の話

人間の弱さと自己犠牲について
曽野綾子さんが、いつも気にしているのは、その事ではないのかなぁ
完璧主義という言葉が浮かぶ
けれど、曽野綾子さんは最近その完璧主義を否定しつつ生きる方法を提示している?

曽野綾子さんの自己犠牲への拘りは、人にそれを強要しはしまいか
いつも、そう思っていた
曽野綾子の小説は殆ど読んだ事がない、というか
小説自体をあまり私は読んでない
罪と罰1ページ?カラマーゾフの兄弟1,2ページ?
読んだ本は、北杜夫の面白いシリーズ、とか
推理小説 エラリー・クイーンとか、シャーロックホームズ、怪盗ルパン
そうだ、今NHKテレビ小説「花子とアン」の赤毛のアンシリーズは大好きで
オルコットとか、バーネットとか、所謂少女小説はよく読んだ
けれど、本格派?は読んでない
そういう人ですが
だから、この間アマゾンで「イエスの生涯」を買ったけれど一ページも読んでないし
そういう人ですが

で、こうあらねばならない、の究極の姿は「自己犠牲」
そして、身代わりとなっ亡くなった「コルベ神父」は自己犠牲の人
で、誰がそれをできるのか?
私は出来ないと思う
では、出来ない事はいけない事なのか?

12:40

ここに「私はいい人であらねばならない」という命題が出てくる
誰がどうあろうと、自分はいい人であらねばならない、のか?
ちなみに私の血液型はAB型で、平衡感覚というか、公平をモットーとするというか
できれば、ダイナミックな嘘はつきたくない、嘘は基本的に嫌いだ
で、人は自分を守るための嘘をつく
最近とみにその傾向を目にする
何かあった時に、「自分は悪くない、誰それ、何々のせいだ」と思う
無理にでも思う
明白に自分が悪い場合でも「自分は絶対に悪くない」と
他への「なすりつけカード」を使う
自分までをも騙して、自己正当化に走る人をとても多くみかけるようになった
何故だ?
多分、自分の非を認める強さがなくなった、減ったんだろうと思う
潔くなくなって、誤魔化せるものは皆誤魔化してやろうという心理が働く
嘘をついて、悪事を隠そうとする子供のような心境に
今は大人が子供のように平気で嘘をつくようになった
そんな気がするけど、もしかして昔からそうなの?
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夜中になって、少し涼しくなった

2014-08-04 03:31:28 | 曽野綾子「天上の青」について
ヘブンリーブルー 続き

昔テレビドラマ化したものは、民放のもので、後にNHKでドラマ化したものとは違う
NHKのは、最近BSか何かで見たけれど、酷かった
放送があった時にも、佐藤浩市、桃井かおり主演と知って見なかった
幾らなんでも桃井かおりはないでしょう、と思って
(私は桃井かおりは好きな方だけど、この主役は絶対にダメと思った)

民放のは、山口果林、白竜が主演だった
どちらも、良かった
このドラマで白竜なる人を知った
多分歌手だろうと思ったけれど
決してうまくない演技ながら、独特の魅力を出していた
山口果林は、本より先にドラマを見たせいか、やっぱりはまり役に思えた
本も買って読んだ 新潮文庫

ヘブンリーブルーという名と、山口果林と、白竜と、白鳥英美子
その全てが、一つの色を醸し出していた
それは・・・天上の青



今調べてみた
民放というのは、フジテレビ  1992年放送
白竜は、やはりミュージシャンで、在日韓国人二世

そして、山口果林は後から安部公房の愛人だったと本を出した、
その時はびっくりしたけど、何だかよくわからない
(例えば、吉行淳之介と宮城まり子の時よりは驚かなかったけれど

あのドラマはまるで、非日常の中の一コマのような、
浮世離れした主人公と共にある、心と心の話だった
これが愛と言えるのかどうか、私には分からないしピンと来ない

天上の青は、天上の青だったんだ
だからこそ、幻想的なこの世のものとも思われない色の花なのだろうと思うけれど
その花を題名に持って来た曽野綾子という人は、やっぱり何かあるのかも
もしかして、曽野綾子という人は、一人で自分を叱咤激励している人なのかも?
ちょっと不自然さを感じる部分がある
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