あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

ゼノ修道士と北原怜子さんについて 再び

2014-08-10 20:27:04 | 自己犠牲について

どうも引っかかってならないので、再度検索して色々読んでみています
それは何故か?
北原怜子さん、享年28才、ゼノ修道士享年90才
随分生きた時間が違います

ゼノ修道士が北原怜子さんと出会っていなければ、
等と思ってしまうのです
そして、ゼノ修道士と北原怜子さんについての記事、というか書き込みは
その殆どの人がキリスト教の人か、 あるいは褒め称える人のものであって
昔の私ならそうしたでしょうが、今の私にはそれはできません
私にとって、この話は今では「美談」ではなくなっているからです

私もどちらかというと、北原怜子さんの側に近いタイプかも知れません
私が救おうとしてきたのは、「猫」なんですが、今は体を壊して何もできません
出来ない事を大変残念だとは思っていませんが
どちらかというと「ナイチンゲール」タイプの私が、北原怜子さんの事について
何故か今気にかかり(単に曽野綾子から派生した話なんですけど)
その自己犠牲に対して疑問を生じているという事なのです

そして、アリの町の人の話と、北原怜子さんの心境などを考え合わせると
単純な美談の話で済むのだろうか、とか思ってしまいます
そんな事をいう事に少々の罪悪感を覚えながら

命をかけて人を助けようとし、志半ばで夭折した心清らかな娘さんの話ではあるのですが

困りましたね

どなたか、感想なり、ご批判なり、書いていただけないでしょうか? 私は不遜な事を書いたりしているのか、どうか、等と

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今の日本と徳川家康

2014-08-10 14:41:05 | 世相・政治他

日本人がこんなに「お上に逆らわなくなった」原因は、

徳川時代にあったのではないかと思うようになったのですが

(済みません、もしかして読んでいる方へ。一行開けの設定が直せず

読みにくくて申し訳ありません)だから

あの何百年か続いた徳川の世

その間に何を言う気も失せさせた何物かがあったのではないかと思うのです

今8月4日の東京新聞「思うままに」という梅原猛さんの文を読みます

題名は「江戸時代再考(一)」

見出し文字は「文武の力で太平の世」だそうです

書き出しを少し

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来年、平成二十七(2015)年は元和ニ(1616)年に没した徳川家康の四百回忌にあたり、彼が終の住み処(か)とした静岡の地を中心に、家康と江戸時代を再考しようという動きがある。

しばしば「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という信長、「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」という秀吉に対して、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」というのが家康の人生観を表しているといわれる。ここでの家康は、忍の一字で天下を取った政治家のイメージである。

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と、これを読んでみます。感想は後ほど。

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書く欄が小さくなって

2014-08-10 09:52:52 | Weblog
書けません
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