大学に入って2作目の石の作品 黒御影石
前に 「私が憧れていた佐藤忠良先生に師事できた」と書きました。
佐藤先生は塑像(そぞう)といって、粘土で像をつくり
それを石膏(せっこう)、セメント、ポリエステル、ブロンズなど壊れにくい素材に置き換えてゆくという作品スタイルです。
世で見かける 石や木,金属以外の 大方の彫刻は そのようにして作られています。
当時の 造形大学の彫刻専攻はまずその塑像(そぞう)を中心にして、
木、金属、石というように すべての素材で 彫刻を作ることを学びました。
よく 彫刻科は「なんでも屋」 なんて言ってました。
石の授業では最初に 道具の使い方、石ノミのつくり方などを習い、
次に「トウフ」といって、比較的柔らかめの石で真四角のモノを彫るよう指示されました。
機械を一切使わず 手道具だけでつくります。
これが意外に「辛い」。
「真四角」につくるのに、創造的喜びなど感じられない上、
使い慣れない道具で固い石を彫るんですから・・・
その上 石の粉でザラつきます。
(そこで 多くのクラスメイトは石の素材での彫刻に苦手感を持ったようです)
クラスの仲間で 最後まで「トウフ」を仕上げたのは 4人ほどだったと記憶しています。
私は学校に入学する前に、既に石と出会ってしまいました。
いきさつは こうです。
私が借りた部屋は 学校のすぐ隣でした。
学生課の人が「交通費がかからなく安く住める」と、紹介してくれました。(1件しか紹介してくれませんでした・・・)
その学生課の方はすぐそこに連れて行ってくれ、
即決でした。
そこには造形大学の学生が常時6人ほど住んでいました。(時期によって人数は変わるが)
決定的だったのは「石の 大成浩先生」が 住んでおられたのです。
(大成浩 新潟出身
東京芸大大学院修了。文化庁芸術家在外研修員。八王子、関ヶ原彫刻シンポ運営。個展:プラハ国立美術館、デュッセルドルフ手工業会議所、在日チェコ大使館、日本橋髙島屋、富山県立近代美術館。文化庁長官表彰。中原悌二郎賞。第17、41回長野市野外彫刻賞)
大成先生はまだ独身で 夜には学生たちが集まり「サロン」のような感じになっていたのです。
そこに 通いだしたのが運命の転換点でした。
当時 ここが学生の石の彫刻の制作場所でした
長くなるので、続きは又!