うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

あわや、「明日は我が身」になるところでした。

2005-04-27 21:11:21 | 表へ出ろ
仕事が入ったので東急大井町線に乗ったのである。駅に電車がやってくる。おや?運転室に3人いるぞ。ふむ、運転士が緑の腕章をしている。見習いの実習なのだ。「東急、気合い入ってるなぁ。JR福知山線の事故のこともあって指導役を二人つけているんだ」と、その時は感心したのである。
大井町駅で乗り換えのため、先頭車両の一番前に陣取った。事故が怖くて先頭車両に乗れるか!あの事故以降「先頭車両は衝突が怖くて乗れない」という声をよく聞くが、こんな話がある。

昭和38年11月9日夜、鶴見駅と新子安駅の間で、貨物列車(45両編成)の後部3両が脱線転覆した。そこへ、架線が垂れ下がっているのを不審に思った横須賀線の下り列車(12両編成)が徐行して通ろうとしたところ、脱線した貨物列車に上りの横須賀線列車(12両編成)が衝突、さらにそのはずみで下り列車の4・5両目に乗り上げて押し潰し、死者161人・負傷者119人を出す大惨事が起こった。世に言う「鶴見事故」である。その時の犠牲者の中に、当時横浜市立大学の学長だった三枝博音(さいぐさ・ひろと)教授がいた。三枝教授は常々言っていたそうだ。「私は列車の先頭車両と最後尾車両には絶対乗らないんだ。衝突が怖いからね。真ん中付近の車両に乗るのが一番安全だよ」と。しかし、皮肉なことに、三枝教授の乗っていた車両こそが、上り列車の直撃を食らってしまったのだった。小さい頃、この出来事を鉄道の本で知った私はものすごいショックを受け、それ以来「どこの車両に乗っていても、ダメな時はダメなんだ」と割り切るようになった。

さて、話は現代に戻る。運転士(見習い)はかなり慎重な手さばきでハンドルを動かし、そばに立っている二人が「あんまり緊張しすぎても良くないよ。リラックスリラックス」みたいな感じで優しげに見つめていた。私も思わず「見習い、がんばれ!」と拳を握りしめて心の中で声援を送っていた。その甲斐あって(?)、2駅目までは何事もなかったのだが…。
3駅目にさしかかった途端、運転士(見習い)が思いきり警笛を鳴らし、急激にスピードを落とした。「えっ!?」と思って前を見たら、何とすぐ目の前で保線係員の人々が蜘蛛の子を散らすように線路から逃げ出していたのだ。ゲゲッ!!駅の直前で既にかなりスピードを落としていたから何とか皆無事に逃げたが、これが急行で通過駅とかだったら、間違いなく何人かははね飛ばされるか轢かれていただろう(大井町線、急行ないけど)。オイオイオイオイ、お前ら何やってんだ!見張り役はいなかったのかよ!反対側にも電車が来てたらどうするんだ、このドアホー!車内は一様にどよめき始め、不穏な空気が流れた。大事故のあとは同じ分野で小事故が立て続けに起こる傾向があるが、私は危うく目の前で派手なスプラッタを見せられるところだった。
ネット始めて5年もなれば、ちょっとやそっとのグロ動画じゃ驚かないが、生は勘弁して下さい。大学時代、飛び降り死体を一回だけ生で見てしまったことがあるが(しかも大学のキャンパスで…友人は落ちる瞬間見ちゃったって…あわわわわ)、あの日は帰って寝るまで震えが止まらなかったんだからー!ガクガク(((( ;゜Д゜))))ブルブル
運転士(見習い)はそこの駅で降りてしまい、あとの二人の若い方が運転席に座った。保線係員たちは間違いなく処分を受けることとなろう。おそらくその兼ね合いもあって運転士(見習い)は降りたものと思われる。代わりにハンドルを握った運転士はさっきの人よりも堂々とした手さばきで発声も気合いが入っていたが、終点の一つ手前の下神明駅で、なぜかもう一人の年配の運転士と交代した。「あれ?何で?」と思ってよく見たら、腕に緑の腕章が…。
アンタも見習いだったんかい!?(;´Д`)ノ
指導役が2人いたんじゃなくて、見習いが2人だったのか…orz
心臓がいくつあっても足りない気分であったが、まぁ無事で良かった。見習いのお二人さん、立派な運転士になってね。あなた方が無事故で安全に運転し続けることが、これまで鉄道事故で亡くなったたくさんの方々への、供養にもなるのだから。あと、保線係員の皆さん。保線も重要だけど、それに気を取られて電車にギリギリまで気付かないってのはイカンでしょうが。きちんと反省するように!