以前からちょこちょこ書いていた、大学の後輩たちによる演劇「Mellow F」が無事に3日間の全日程を終了した。当初は一観覧者の予定だったが、一昨年から関わっているから慢性人手不足の内情を知っている私。「もし良ければ手伝うよ」と連絡したら案の定、「お願いします…!」との返事が来て、まんまと首をつっこむことになった。むしろ「そろそろお芝居の季節じゃん。お手伝い参加の要請こねーかなぁ」と、手ぐすね引いて待っていたというのが正しい。
一つのものを大勢の仲間で作り上げていくという作業は、多くの困難も伴うが、いざハマるとなかなか楽しいものだ。己の学生時代は面倒くさがりだったのと、元々集団行動が苦手だったこともあって帰宅部に徹していたのだが、いざ卒業するとそういう経験がなかったことがちょっと寂しくなるから勝手なものである。だから、「お手伝い」に名を借りて学生時代の埋め合わせをしているわけだ。「いつもいつもありがとうございます」と毎度感謝の言葉をいただくが、埋め合わせの機会を与えて貰えたこちらこそ、感謝せねばならない。
受付業務がメインだが、5回の公演中2回は前説(開演前の諸注意)をやらされた。芝居経験者じゃないから、小劇場とは言え、場内に声が全然通らない。おまけに2回とも噛み噛みだった。2回目にいたってはカンペを読んでいたにも関わらず噛んだ。正直、消えてなくなりたいほど恥ずかしい。他の3回は他のお手伝いさん(芝居経験者)がやったが、やはり声といい落ち着きといい全然違う。固辞すれば良かったか。しかし、人前に出ることにちょっとしたマゾ的快感を感じ始めているのもまた事実であったりする。役者も上演中、そんな気持ちを感じるものなのだろうか。是非今度聞いてみたい。
3日間の公演が終わり、ちょっとしたセレモニーや記念撮影を終えると、舞台の「バラシ(=撤去作業)」がある。バラシのための特別要員も集結し、劇場の貸し切り時間ギリギリまで、上を下への大騒ぎだ。まさに戦場である。学生にとっては追加料金を取られるのと取られないのとでは死活問題なのだ。テキパキと作業が行われ、ついさっきまであった舞台がうそのように、ただの一空間に戻る。夢から覚めるような感覚だ。この瞬間がなぜか好きである。説明に困るのだが、極論すると「舞台はバラシのためにある」とすら思っている。
新宿・歌舞伎町での打ち上げにも招かれ、混ぜてもらった。いろいろ話を聞いていると、もう10歳も年の離れた後輩がいることに愕然とする。そりゃそうだよな。今年で30歳だし、もう大学出て6年目になるんだもの。しかし、昭和60年生まれの子がもう大学生なんだねぇ。何か、変な気持ちである。自分の妹がもう25歳であることがまだ飲み込めないのに、さらに5歳下か…う~む。時の流れを痛感せずにはいられない。自分が大学生の頃は、30歳前後の人はみんなしっかりしていて頼りがいがあり、脂の乗った大人のオーラが漂うイメージがあったが(悪く言えば「オッサン&オバサン」なわけだが)、いざ自分がその年齢になると、己の不甲斐なさに情けなくて涙が出そうになる。みんな、こんな頼りない先輩でスマン。
1次会が終わったのは午前1時。今から帰ろうにも電車がないから2次会にもなだれ込み、カラオケボックスで朝5時まで歌い倒した。実は昨年の今頃もこの劇団の手伝いをやっていて、ほとんど同じ展開でやはりカラオケボックスにいたのだが、演出担当のHくんが1発目に歌ったのが「マツケンサンバⅡ」だった。場の全員が腹を抱えて笑い転げ、ノリノリ状態になったのだが、その直後これが大ブレイクするなど誰が予想し得たであろうか。単なる偶然か、それともHくんに先見の明があったのか…まぁ、単なる偶然だろう。
みんなと別れを惜しみつつ、家に帰ってきたのは朝6時。もっとヘロヘロになるかと思いきや、意外と体が保つものだ。おそらく、今まで勤務してきた会社が不規則勤務のところばかりだったから、体の奥底で適応能力が働いているのだろう。もっとも、徹夜なんて何度もやるものじゃないが。
学生時代に何をしたというわけでもなかったはずなのに、今でもこうして大学の人間と交流があるというのも、ありがたい話ではないか。良き師良き友良き先輩良き後輩に恵まれ、幸せなことである。うつ持ちで、ちょっとしたことでも厭世的になりがちな私にとって、こういう人間のつながりは生きる上での貴重な糧だ。「まだ捨てたものでもないかもね」という気にさせてくれる。これからも、こういう縁を大切にしていきたいものだ。
※動画は、開演前の一光景。一同がやっている怪しげなアクションは劇中に出てくる「蛇の舞い」である。皆さん、黙って撮っちゃってゴメンナサイ。面白かったもので、つい…。
一つのものを大勢の仲間で作り上げていくという作業は、多くの困難も伴うが、いざハマるとなかなか楽しいものだ。己の学生時代は面倒くさがりだったのと、元々集団行動が苦手だったこともあって帰宅部に徹していたのだが、いざ卒業するとそういう経験がなかったことがちょっと寂しくなるから勝手なものである。だから、「お手伝い」に名を借りて学生時代の埋め合わせをしているわけだ。「いつもいつもありがとうございます」と毎度感謝の言葉をいただくが、埋め合わせの機会を与えて貰えたこちらこそ、感謝せねばならない。
受付業務がメインだが、5回の公演中2回は前説(開演前の諸注意)をやらされた。芝居経験者じゃないから、小劇場とは言え、場内に声が全然通らない。おまけに2回とも噛み噛みだった。2回目にいたってはカンペを読んでいたにも関わらず噛んだ。正直、消えてなくなりたいほど恥ずかしい。他の3回は他のお手伝いさん(芝居経験者)がやったが、やはり声といい落ち着きといい全然違う。固辞すれば良かったか。しかし、人前に出ることにちょっとしたマゾ的快感を感じ始めているのもまた事実であったりする。役者も上演中、そんな気持ちを感じるものなのだろうか。是非今度聞いてみたい。
3日間の公演が終わり、ちょっとしたセレモニーや記念撮影を終えると、舞台の「バラシ(=撤去作業)」がある。バラシのための特別要員も集結し、劇場の貸し切り時間ギリギリまで、上を下への大騒ぎだ。まさに戦場である。学生にとっては追加料金を取られるのと取られないのとでは死活問題なのだ。テキパキと作業が行われ、ついさっきまであった舞台がうそのように、ただの一空間に戻る。夢から覚めるような感覚だ。この瞬間がなぜか好きである。説明に困るのだが、極論すると「舞台はバラシのためにある」とすら思っている。
新宿・歌舞伎町での打ち上げにも招かれ、混ぜてもらった。いろいろ話を聞いていると、もう10歳も年の離れた後輩がいることに愕然とする。そりゃそうだよな。今年で30歳だし、もう大学出て6年目になるんだもの。しかし、昭和60年生まれの子がもう大学生なんだねぇ。何か、変な気持ちである。自分の妹がもう25歳であることがまだ飲み込めないのに、さらに5歳下か…う~む。時の流れを痛感せずにはいられない。自分が大学生の頃は、30歳前後の人はみんなしっかりしていて頼りがいがあり、脂の乗った大人のオーラが漂うイメージがあったが(悪く言えば「オッサン&オバサン」なわけだが)、いざ自分がその年齢になると、己の不甲斐なさに情けなくて涙が出そうになる。みんな、こんな頼りない先輩でスマン。
1次会が終わったのは午前1時。今から帰ろうにも電車がないから2次会にもなだれ込み、カラオケボックスで朝5時まで歌い倒した。実は昨年の今頃もこの劇団の手伝いをやっていて、ほとんど同じ展開でやはりカラオケボックスにいたのだが、演出担当のHくんが1発目に歌ったのが「マツケンサンバⅡ」だった。場の全員が腹を抱えて笑い転げ、ノリノリ状態になったのだが、その直後これが大ブレイクするなど誰が予想し得たであろうか。単なる偶然か、それともHくんに先見の明があったのか…まぁ、単なる偶然だろう。
みんなと別れを惜しみつつ、家に帰ってきたのは朝6時。もっとヘロヘロになるかと思いきや、意外と体が保つものだ。おそらく、今まで勤務してきた会社が不規則勤務のところばかりだったから、体の奥底で適応能力が働いているのだろう。もっとも、徹夜なんて何度もやるものじゃないが。
学生時代に何をしたというわけでもなかったはずなのに、今でもこうして大学の人間と交流があるというのも、ありがたい話ではないか。良き師良き友良き先輩良き後輩に恵まれ、幸せなことである。うつ持ちで、ちょっとしたことでも厭世的になりがちな私にとって、こういう人間のつながりは生きる上での貴重な糧だ。「まだ捨てたものでもないかもね」という気にさせてくれる。これからも、こういう縁を大切にしていきたいものだ。
※動画は、開演前の一光景。一同がやっている怪しげなアクションは劇中に出てくる「蛇の舞い」である。皆さん、黙って撮っちゃってゴメンナサイ。面白かったもので、つい…。