うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

関根勤氏絶賛の、ムルギランチを食べてみる。

2005-04-20 15:32:02 | 表へ出ろ
叔父に会う用事があって、「ついでに昼ご飯を食べよう」という連絡があったので、雨の中ノコノコと東銀座まで出たのである。叔父のオフィスへ行き、用事は早々に片づけて表に出た。「今日は築地はお休みだから、銀座方面に出て寿司でも食べようか」と叔父は最初に言い、以前行ったことのある寿司屋に向かって歩き出したのだが、突然「あ、カレーはどうだい?近くに有名な店があるんだ」と突然の方針転換。叔父は美味しい店をたくさん知っていて、連れて行ってもらってハズレだったことがない。私も賛同して、入ったのは歌舞伎座そばのインド料理専門店「ナイルレストラン」であった。創業して60年近い老舗で、店長のナイルさんは何度かテレビにも出ている名物おじさんだ。
ウェイターのおじさんがメニューを持ってきたのだが、いきなり「当店名物のムルギランチにしますか?」なんて迫ってきて、メニューを開くどころではない。そのまま勢いで叔父も私もムルギランチを頼んでしまった。

ムルギランチの「ムルギ」とは「鶏の」という意味だそうで、鶏の太股が丸々1本入っている。写真を図解すると、右端の山が黄色いライス(サフランライスか?)。カレーソースがたっぷりとかかり、そしてその中にマッシュポテト(真ん中奥)と茹でキャベツ(真ん中手前)、鶏肉(左端)が盛られて出てくる。出てくるなり、ウェイターのおじさんが鶏肉の骨を手早くはずす。よく煮込んであるようで、スルッとはずれる。うむ、こりゃ確かに美味そうだ。

実際、美味しいのである。カレー自体はスパイスが効いていて、そのまま食べると結構辛めだが、マッシュポテトやキャベツと混ぜ合わせることで辛さが和らぐ。それに、単に辛いだけではなくコクがあって、これはクセになりそうである。恐らく家庭で再現するには難しいだろう。
最初はちょっと上品にと思って少しずつ混ぜて食べていたのだが、ウェイターのおじさんが「もっともっとかき混ぜて食べて下さ~い」と言うので、グシャグシャにかき混ぜて食べてみた。確かに美味い!もっとも、父なら「お前に指図される筋合いはない!」とかキレそうだが。でも、このフレンドリーさがこの店の売りの一つでもあるわけで、ここは意固地にならず、素直にかき混ぜて食べることをお勧めしたい。

お値段は1,400円。これが高いか安いかは各自の判断にお任せするが、ボリュームたっぷりだし美味しいし、銀座へ行った時はぜひ一度お試しいただきたい一品である。

恐怖広告・顎関節回復センターPart3

2005-04-19 19:11:49 | 表へ出ろ
今日、仕事帰りに東横線に乗ったら、またしても発見してしまった顎関節回復センターの恐怖広告。今度はうつの話ですか。どこまで怖がらせたら気が済むんでしょうか、顎関節回復センター。

「顎関節症とうつ病・自律神経失調症」

どっちも該当するので既に((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル状態な私。何?一体どういう関連があるっちゅうの?

「首の骨7つのうち一番上は顎関節症側へ回転、捻れ、首の骨上から2・3・4・5番目の骨に・・・」

…?骨が回転ってどういう状態なの?何が何だかわからないところが怖いよう。お得意の文末フェードアウトで怖さ倍増。骨が、骨が一体どうなるって言うんですか、先生ッ!?

「顎関節症側に回転変位したのがうつ病

「顎関節症側と反対側に回転変位したのが自律神経失調症

ますますわからなくなってまいりました。公式HPの説明では「自律神経は交感神経と副交感神経にわけられます。自律神経失調症は交感神経の過剰の病気です。うつ病は副交感神経の過剰の病気です。首の骨、背骨の異常の部位によって交感神経・副交感神経とに分けられます。そしてその異常部位が過剰に反応したのがうつ病・自律神経失調症の病気をおこすのです。」ということなんだそうだが、読んだらますますわからなくなってきた。回転変位と自律神経とがどう繋がってるのかの説明が全くない。肝心なところをうやむやにしちゃダメでしょう先生。

「首の骨が回転変異することにより左右の歯の高さが必ず変る。」

トドメを刺されました。怖いですね。そもそも回転変「異」って何なんでしょう。回転変「位」とは違うのでしょうか。それとも単に校正ミスなんでしょうか。もっとも、どっちの意味もわからないんだけど。わからなかったら顎関節回復センターに来いってこと?イヤだなぁ。「大リーガー養成ギプス」みたいなアヤシイ器具をつけさせられそうなイメージが頭の中でモヤモヤと湧いてくる。

こんな怖い広告で本当に患者が来るのかなぁ。私みたいな小心者は怯えちゃって行けませんよ。行ったら絶対ブログのネタになるけど、命は惜しいなぁ。

ブログ初めて3ヶ月、早くもネタ枯渇気味。ショボ過ぎる己の頭に喝!

2005-04-18 21:54:30 | 雑記
最近、夜にgooブログを閲覧したり書き込もうとすると重たくてしょうがないのである。どうもブロガー人口が増加している影響らしい。そりゃイライラもするが「何やってんだgoo!」と一人で怒ってみても始まらない。それだけブログが普及しているということだ。マーフィーの法則でいえば「『日本人は行楽地でどこでもすぐ群れたがる』と憤慨するとき、あなたももちろん家族を連れて行楽地にいる。」というのと同じような状態である。来週25日の午前1時から、8時間の大メンテナンスを行う予定だそうだ(スタッフブログ参照)。少しでも快適にブログが使えるよう、期待したい。

ブログを始めた当初は結構お気楽な気分で書いていたのだが、だんだん読者を意識するようになってきて、ネタや筆運びもそれなりに考えるようになった。するとどうしても多少かしこまってしまうわけで、好き放題には書けなくなるものだ。この前ながの氏と飲んでいて、「最近ネタに困ってない?」とツッコミが入った。図星である。最初の頃は勝手にネタが湧いていたのだが、このところはどうもパッとしない。「スパッと休むのも一つの手だよ」と言われたが、それも何か悔しいんだよなぁ。一旦途切れてしまうと、私の性格からしてそのまま意欲が失せて潰れてしまいそうだし。
ながの氏がかつてカナダ留学していた時、毎日のようにメール交換をしていたのだが、今考えるとよく続いたものだと我ながら感心してしまう。内容はほぼバカ話一辺倒だったのだが、まさに言葉のピンポンラリー状態で話題が途切れることがなかった。あのノリで書ければ面白いのだが、下ネタやブラックジョークの雨あられでヘンな誤解を招いてしまう危険性大である。誰が見ているかわからないし、やっぱり命は惜しい。
いっそ、もう一つブログ作ってそこで毒を吐いてやろうかとも思うのだが、ミクシィもやっているし、さすがにそこまでやる労力も熱意もないやという感じである。

ここもどこまで続くかなぁ。まぁ、ただでさえ考え込む性格だから、あんまり気負わない方がいいのかもね。

納骨式Part2

2005-04-17 18:49:58 | 表へ出ろ
骨壺はこうして埋められる。こんな状態で埋めるならいっそ中身をぶちまけて土に返しちゃえばいいのに、と思ったのだが、そうは行かない事情があるらしい。
地方のある程度大きい一族の墓であれば、本家がしっかりと存在しており、代々そこを動くことがないためにそれも許されるのだが、そういった「地盤」のない一族の墓で、骨を直に埋めてしまった場合、後で引越やら何らかの事情で墓を移転することがあったりした場合に、面倒なことになるという。書類と骨壺の数がピッタリ合っていないと認められないらしいのだ。
確かに、娘二人は嫁いだため、もう祖父の姓を継ぐ者はいないわけで、乱暴に言ってしまえば一族終焉である。実際には名義変更でヒロコおばさん一族がここの持ち主になるので墓を移転することはないのだが、結局のところ、壺ごと埋めちゃった方が、あとあと面倒なことになりにくくていいということなのね。

納骨式Part1

2005-04-17 17:57:36 | 表へ出ろ
今日は、亡くなった祖父の四十九日法要&納骨式を行った。1枚目の写真は、祖父一族代々の墓である。ちなみに、写っていないが右隣には苗字も家紋(丸に右三階松)も全く一緒の墓がある。祖父の従兄弟一族の墓らしいが、誰一人として一度も会ったことがない。
写真右下に穴が掘られているのが見えるだろうか。実は、先祖代々の墓なのでもはやスペースが空いておらず、祖父のお骨はここに収められることになったのだ。えー!?これじゃ盗みたい放題じゃないの。誰も盗まないだろうけど。それにしても、墓の下じゃなくてこんな所に直に埋めるとは。母は口をあんぐりと開けて、
「これじゃ何だか生ゴミ捨ててるみたいだわ…」
と呟いた。

♪探しものは何ですか…井上陽水?それとも斉藤由貴?

2005-04-16 14:06:27 | 雑記
昨日出がけに、ふとケータイの緊急用充電器(電池式)をどこへやったかな?と思い、いつも置いてある場所を探したがなぜか見つからない。どうせ近所への外出だから要らないのだが、いざ気になりだしたら止まらなくなってしまい、机の中や本棚をひっくり返して探したものの、全然見当たらない。その場は仕方なく諦めて家を出たが、頭の中がスッキリしない。
出かけたのはながの氏と一杯やるためで、飲んでいる間は忘れていたが、家に帰るなり思い出し、あちこちを探し回ったものの一向に出てくる気配はなく、仕方なく床についた。しかし、深酒すると眠れなくなる体質の私は、充電器が見つからないのも相まって、目がランランとしたまま大して眠れず朝を迎えてしまったのだった。

昔から、よく物を落としたり忘れたりなくしたりしたものである。小学校時代、宿題や持ち物を忘れるのは日常茶飯事で、先生や班長にしょっちゅう怒られていた(中学校からはスパッと改心しましたよ、ホントの話)。家でなくしものをすると、これまた親に怒られた。「どこにやったんだ!」…って、それがわからないから「なくした」って言うんでしょうが。アホなこと聞かないでよ、何で怒るの…と、子供心に思ったものだ。こうしてだんだん、忘れ物やなくしものが怖くなっていった。さらに追い打ちをかける出来事が起こったのは、中学入学後である。財布を立て続けに2回落としたのだ。1回目は中身が50円以下の古い財布だったので大して凹まなかったのだが、2回目は親に誕生日プレゼントで買ってもらった割と新しめの財布を落とした。しかも、中身は5000円ぐらい入っていた覚えがある。これにはすごいショックを受けた。それがトラウマになり、今では慎重すぎるぐらい慎重に財布を扱っている。尻ポケットに入れたり、他のバッグの中に入れるなんてとんでもない話で、右前ポケットの奥深くに沈み込ませ、しょっちゅう手を突っ込んで感触を確かめないと気が済まなくなってしまった。もはや一種の強迫神経症である。私の財布はムダに厚みがあって、服によっては(特にスーツ)そこだけダボッと盛り上がってしまい非常に格好悪いのだが、カッコを気にして落とすよりはマシだろうて。ちなみに、電車のキップの類も所定の位置にないと落ち着かなくなるタイプである。
こういうたちなもので、ひとたび物がなくなると、いても立ってもいられない。別になくしていなくても「あ、アレどこやったっけ。ちゃんと所定の場所に置いといたっけ…?」と気になり出すとそわそわしてきて、今やっていることをほっぽり出してでも家に飛んで帰りたくなる。要するに切り替えというか、割り切りがヘタなんですね。「いいか、後で探せば」という気持ちにどうしてもなれないのだ。困った性格である。

結局、「新しいの買おうかな…」と諦めかけていた矢先、充電器はいきなり出てきて一件落着と相成った。そういえばこの前「なくさないように」と、そこ(電池入れの袋)に入れておいたのだった。なくさないようにしてその場所がわからなくなっているんだから世話はない。とりあえず、必要なものはヘンなところにしまわず、すぐ目につくところへ置いておこう…と、改めて誓ったのだった。

早く書かねば日付が変わってしまう!

2005-04-15 23:44:20 | 雑記
さっきせっかく頑張って書いたのに、うっかり「メモ帳」に保存しとくのを忘れて投稿したら、「アクセス殺到」ではねられちゃった…。もう一度書く気力もないので、代わりに私の父の実話を一つ。

父は高校進学を控えた春、自転車に乗っていて車にはねられた。はねられた場所の目の前に病院があり、父はそこで治療を受けた。ラッキーである。さらに、これまたそばに自転車屋があって、自転車はそこで修理してもらった。ラッキーである。



そして、父をはねた車の持ち主は、葬儀屋だった。ラッキー…にならなくて良かった。

この前草野球で「中村紀洋(ドジャース)だ」と言われました…打ち方が?体型が?

2005-04-14 21:12:00 | 野球
ケーブルテレビを見ていたら、昭和58年の巨人ヤクルト戦をやっていた。G+(ジータス)の「ジャイアンツヴィンテージ」という番組だ。懐かしい後楽園球場。懐かしい両チームの面々。巨人のメンツは先発投手の西本、以下山倉、中畑、原、スミス、駒田など(江川、吉村が途中出場。松本はケガで出場せず)。対するヤクルトの先発はエース松岡、以下八重樫、マルカーノ、角、水谷など(若松勉〔現ヤクルト監督〕がなぜか出ていなかった)。
現在と比較してみると、応援の熱狂度が違う。昔の方が良くも悪くも熱い。その勢いは時に狂信的ですらある。千葉ロッテマリーンズの応援は情熱的なことで知られるが、あそこまでは洗練されていない。
そして、選手の体型が違う。一部を除き、みんな胴長短足の純日本人体型である。投げ方や打ち方もどことなくモサッとしている。そこがまたたまらなく懐かしい。

私が好きなのは、怪しげなフォームの選手たちである。「そんなので打てるのか?」とか「なぜその投げ方でそんなすごい球が放れるの?」と思わせるような選手が、昔から大好きなのだ。この試合にも出ている選手で言えば、ヤクルトの捕手・八重樫幸雄古田敦也の先々代の正捕手であった(先代は現・中日コーチの秦真司)。名は体を表すと言うが、まさにいかついずんぐりむっくりのガタイである。旧時代のキャッチャーはみんなああだった。常軌を逸するオープンスタンスで体をクネクネさせる独特の打撃フォーム。そして、丸メガネ。今でこそ古田の台頭で、メガネをかけている捕手というのは普通の存在になったが、当時としてはまさに異色派だったのだ。動画があればぜひお見せしたいぐらいの選手である。
昔は八重樫ばかりではなく個性的なフォームの選手が花盛りで、男の子なら1人ぐらい必ずマネをした選手がいたものだ。ちなみに私は背が低かったので、同じく小柄な若松のマネをして膝を思いっきり折り曲げたフォームで打ったら、1打席目でいきなり弾丸ライナーのホームランを打ってしまい、驚いたことがある(ちなみに、そんな目が覚めるような当たりが出たのはそれ1回きりだった)。
最近は、マネしたい、また球場で見たいと思わせるようなフォームの選手も少なくなった。種田仁(横浜)のガニ股打法ぐらいか(ちなみに、バッティングセンターでやったら全く打てなかった)。大昔は天秤打法なんてとんでもない打ち方も存在したのだ。しかも、その打法の持ち主であった近藤和彦(元大洋・近鉄。故人)は、毎年のように首位打者争いに加わった好打者であった。
何事にもセオリーはある。しかし、常識を覆すような型破りな存在がいなければ、その世界は面白みがなくなってしまうだろう。野球でも、そういう選手にひときわ輝いてもらいたい。異色派大歓迎!ドンドン出てこい!!

宗教心が全くないのも、ある意味問題なんですが。

2005-04-13 18:37:53 | 雑記
聖神中央教会暴行事件
(Yahoo!ニュースより)

聞けば聞くほど腹立たしく、不可解な話である。
そもそも、宗教というのは何のために存在するのか。人の心に平安をもたらし、幸せに導くのが本来の道ではないのか。そのためには単に祈ってりゃいいというものでもあるまいし、神や教祖を絶対的存在として、無条件に従っていればいいというものではないはずだ。そんなことで幸せになれるなんて思っているのは、信仰ではなく、ただの「逃避」だ。信じることは大事だが、「我」を失ってそれにのめり込むというのは、間違いだろう。
個人的には、宗教というものはあくまで生きていく上で歩みを補助する「杖」であって、それにもたれかかっていてはダメだと思う。あくまで「自分の足で歩くこと」を意識していなかったら、いずれ本当に歩けなくなる。
ニュースの記事を読むと、性的暴行を受けたことやそれに関わる苦悩を娘から聞かされても、母親が「それは祝福」「神の導き」といい、取り合わないケースもあったという。自分の娘がこんな酷い目に遭わされているのに、なぜ真摯に受け止めようとしないのか。これこそまさに私が言いたい「自分の足で歩けない」状態だ。
こういうことに巻き込まれないためにも、普段から、何事も無条件に受け入れるのではなく、まず考えること、疑問を持つことが大事だと思う。「何か変だぞ?」と思ったら、それこそ親の言うことでも。そうでなければ、ヘンな宗教に限らなくても悪徳商法等に引っかかる危険性だって高い。なんだかんだ言って、結局自分の体は自分で守らなければダメなのだ。生きる上での基本である。

以上、大学時代にアオチュー教授から

「お前は何も考えてないヤツだなぁ、ハッハッハ!」

と常日頃言われていた私、うえぽんの戯れ言でした。先生、ホントはこれでも結構考えて生きてるんだぞー。