「赤いダイヤ」、何を思い浮かばれますか?
3週間ぶりに、遠隔地農場に日帰りで出掛けました。
隣の田圃は、既に稲刈りが終わってます。もう秋です。
「赤いダイヤ」それは小豆です。
小豆が「赤いダイヤ」と称されたのは、昭和30年代前半の頃です。
小豆が商品先物取引市場で相場師によって投機の対象とされたのです。
その頃、梶山季之の小説「赤いダイヤ」が出版されてます。
「命を張って一獲千金に臨む男の物語です。」
それは、50年以上前の昔のことです。
我が家の遠隔地農場でも、その昔を偲んで小豆を栽培してます。
その収穫時期を迎えております。
小豆が何処にあるかしら?
倒れた茎をひっくり返すと、裏に沢山の小豆の鞘が出てきます。
枯れて白く乾燥したものを捥ぎ取ります。
捥ぎ取る時期が遅くなると、害虫の被害に遇ってしまいます。
ついでに、畑の近況です。
自然界には、こんな腕白坊主もいます。
何となく、自分のガキ大将の頃が偲ばれます。
秋野菜、手塩にかけた自慢の仲間たちです。
写真の右側が薩摩芋畑です。
孫たちと一緒に楽しむ「秋の収穫祭」の主役です。
・・・・・
「赤いダイヤ」に纏わる懐かしい事です。
昭和30年代、皆貧乏でした。それが当たり前の時代です。
我が故郷も例外ではありません。
里の畑以外に、村落共有地の萱場があります。
ここは共有者の誰でも耕しても良いことになってます。
父親や兄たち、そして親戚の男衆が自分の家の野良仕事の合間を縫って、
開墾ボランティアに精を出します。
それからが、村の娘たちの野良仕事です。
小豆を蒔いて、こまめに雑草を取り、そして「赤いダイヤ」の収穫です。
その「赤いダイヤ」には仲買人が群がりますが、その売り先は決まってます。
それは、その集落の事情を知り尽くした老舗の和菓子屋さんの女将さんです。
毎年安定した取引で その売り上げは娘たちの小遣いになったそうです。
それを元手に娘たちは化粧用品を買い求めたそうです。
今、田舎で小豆を栽培する農家は殆どいません。
既に、「赤いダイヤ」は忘れられてしまっているのです。
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