「家庭養護促進協会の推薦を受ける事ができた今の自分達夫婦の覚悟を数値にすると、どのくらいだろう?」
そんな事を考えます。
最後の不妊治療が2018年4月。
その後、何となく継続はせず、子どもの話は避けながら暮らしていて・・・
国内旅行を3回行き・・・
鹿児島、東京、加賀温泉と・・・
楽しかったけど、どこか虚しくて・・・
「やっぱり子どもがほしい」と思い、養子について調べ出したのは、2019年になってから。
私が1人で調べて悶々としてました。
「妻に伝えよう!」と覚悟を決めたのが2019年3月末。
この時の覚悟レベルを1とする。
最初は乗り気ではなかった妻に話をして、思い切って児童相談所へ電話しました。
この時の覚悟レベルは1.5かな。
初めて児童相談所へ訪れたのは4月。
里親担当職員から話を聞き、里親登録と大阪家庭養護促進協会を紹介されました。
この時、私は特別養子縁組を希望していたけど、妻は養育里親でも良いかなと話していた。
夫婦間に温度差がありました。
この温度差が埋まって一枚岩になったのは2020年1月1日です。
まだ付き添いで動いてくれている妻と一緒に里親登録の研修を受けたのは2019年5月。
この時の覚悟は、まだ1.5くらい。
里親研修後に特別養子縁組希望の子どもが掲載されている毎日新聞の「愛の手』を取り寄せることにしました。
取り敢えず、実際の子どもを見てみたかったから。
一人目は男の子、二人目も男の子だったかな・・・
三人目は・・・
「こんな新聞記事の写真と簡単な紹介文だけで選べるんかいな」と思いながら、毎週送られてくる『愛の手』を楽しみにしている夫婦でした。
何人目か忘れましたが、「この子可愛いな」って気になった子がいました。
妻に「この子が気になるわぁ」と話しました。
次の日、やっぱり気になるので問い合わせてみようかなと考えました。
初めて家庭養護促進協会に連絡しました。
7月初め頃だったかなと思います。
この時の覚悟レベルは1.8くらい。
早速、家庭養護促進協会に伺うことになりました。
「厳しい協会」という話は児童相談所の担当職員から聞いていましたので、気合を入れて向かいました。
この日の覚悟レベルは2です。
自分達の中では、相当な覚悟で向かいました。
オリエンテーション面接みたいな感じで話を聞かれました。
「養子の子育ては大変ですよ」
「外見も自分に似てこないですし」
「試し行動っていうのがあって、わざと悪いこともします」
などなどネガティブな情報を多く聞いたと思います。
その後、『愛の手』に掲載された女の子の担当職員に交代され、子どもの紹介をされました。
「どんな事を聞かされても、申し込もうな」と夫婦間で決めていましたが・・・
あまりにもヘビーな情報で・・・
即決はできず・・・
「考えてお返事します」と言うのが精一杯でした。
促進協会を後にして、せっかく大阪上本町まで来たから、難波にでも行こうかと向かったものの・・・
こんなにも心が沈むとは。
スタバで向き合って面談で聞いた話を繰り返していたのを思いまします。
結論が出ないまま帰りの近鉄電車の車内広告に目をやると・・・
『迷いながら生きる事を迷うな』と。
こんな時に格言は心にきますね。
恥ずかしながら、この格言で迷いは消え去りました。
翌日に電話で「この子に申し込みます」と伝えました。
この時の覚悟レベルは4かな。
養子を迎える覚悟を決めました。
そして、家庭養護促進協会での面談の日々が始まります。
夫婦面談2回くらい、妻と私が別々で1回ずつの面談。
追加で面談を受けに行ったこともあったような・・・
毎回、何を聞かれるのだろうと思いながら受けていました。
少しずつ覚悟が出てきました。
レベル4.5です。
そして、10月頃、我々夫婦が第一候補として選ばれました。
この時点では、まだ迎えられると決まった訳ではなく、先は長かった訳です。
面談をしている期間と同時進行で里親研修もありました。
8月に児童養護施設の実習があり、舞鶴学園へ行きました。
子どもとの触れ合いは緊張しましたが、良い経験をさせてもらいました。
9月には、家庭養護促進協会主催の養親講座を受けました。
少しずつ現実味を帯びてきたのを覚えています。
11月に家庭訪問。
通常一回で終わるはずの家庭訪問だったのですが・・・
12月初旬に2回目が・・・
しかも2回目の家庭訪問では、我々夫婦の甘さが指摘され、どん底に・・・
「もう終わった」と諦めてしまいました。
しかし、追加の面談をしてもらうことになり救われた気持ちになったと同時に強い焦りが生まれました。
夫婦間にあった温度差について私がイラついてしまい、妻を強く追い込んでしまいました。
鬱状態になった妻、私も心が荒んでいました。
そんな最低の状態だった年末年始・・・
「もう別れよう」とまでなりそうになった元旦の話し合い。
夫婦間で本気でぶつかったと思います。
「やっぱり、あなたと一緒に子育てがしたい」
「3人で暮らさないと意味がない」
夫婦が一枚岩になれました。
覚悟レベルは6くらいかと。
何が正解かも分からなくなる程追い詰められていた促進協会の面談でしたが、最終面談の日は吹っ切れた我々夫婦がいました。
晴れやかな顔をしていたと思います。
「これで駄目なら仕方ない」という気持ちもありました。
普段は理論派の私も感情を剥き出しにして、「何でも努力します。私達はこの子と暮らしたいんです」と伝えました。
面談をしながら、覚悟レベルは上がりました。
レベル8です。
担当職員から漏れた言葉は、「今じゃないのかも」と。
養子を迎えるのは今じゃないという意味です。
まだまだ揺れ動いている夫婦の姿を見て、そのように感じられたのかと。
面談後、本当に終わったと思いました。
「この子を迎えられないのなら、この先どうして生きていこうか」と呆然になるくらいでした。
生きた心地がしないまま日は過ぎて、面談の翌週に電話がありました。
「もう一度、面談させて下さい」とのこと。
首の皮一枚繋がった!
「最後の勝負や」と夫婦で話し合い、運命の面談へ。
2020年1月21日です。
最終確認のような面談でした。
「本当に、このまま進めて良いのですね?」
「旦那さん、子育ての為、仕事は休めますか?」
「奥さん、鬱状態で寝込まないで下さいね」
一言一言が重いです。
「私も覚悟を決めました」と担当職員さんから聞いた時、我々夫婦も覚悟を決めました。
覚悟レベルは10です。
MAXの数値はいくらなのかは分からない覚悟レベルですが、養子を迎えようと決めた時より10倍の覚悟を持っていることは確かです。
私自身、成長したと思っています。
これから、何度も何度も新たな覚悟を決めていくのだと思います。
まだ見ぬ我が子を抱き上げる時、私の覚悟レベルは幾つになっているのか。
今の私には想像できません。
とにかく、早く我が子に会いたいです。