ウホウホにっき

大好きなガイドヘルプの仕事をするため城陽で起業し、40男の生き方を模索中。旅行とグルメが生き甲斐!

最低賃金以下の待遇を指摘したら(その後)

2019-07-25 07:57:45 | 家でのこと
今週月曜日に妻の職場に対して最低賃金以下の時期があった事を指摘しました。
過去の給与明細を再度要求してました。


水曜日の朝、出勤した妻に給与明細は手渡されたようです。


しかし、その時の事業主とのやりとりに残念なことがありました。
妻から聞いた話ですが、以下の通りです。




「今回の最低賃金を下回っていた話、旦那さんからではなく、本人から直接聞きたかった。そういう事を言い合える関係だと思っていた」と、まず言われたようです。
事業主の気持ちは分かりますが、妻本人は言いにくかった訳で、言うつもりがなかったのを私が伝える必要があると思い代わりに伝えています。
妻としては、「直接言って欲しかった」と言われたことで責められた気持ちになったかもしれません。
まず、妻に対して責めるような言い方をされたことは残念です。
事業主には責める気がなかったにしても、妻は傷付きました。




最低賃金以下の時期があったことについての謝罪はあったようです。
しかし、その後、妻に対して本件とは無関係の内容を約30分に渡り話されたようです。


「今回の件、旦那さん(私)の言い方や態度は残念でした。今後、そらいろ(私の事業所)とは付き合っていけません」と。
今回のことは、従業員としての妻の待遇について指摘した訳です。
その結果、事業の関係を切るという結果になるのは筋違いです。
そして、その話題を妻に話すことも筋違いです。


従業員である妻に対して言うべき内容ではないかと思います。




その後、私の批判が続いたようです。
私が過去に起こした他事業所との揉め事をいくつか妻に伝えたようです。
その中には、私が妻には伝えていない内容もありました。
他事業所から伝え聞いた話も混じっていました。


事実関係云々ではなく、本件とは無関係のエピソード(従業員家族の批判)を伝えることには憤りを感じます。


「あなたの旦那さんは、過去に数々の問題を起こしてきている人ですが、今までは何とか付き合ってきた。しかし、今回の件でもう付き合えないと感じました」という事を伝えたかったのではないかと推測します。


これは本件(最低賃金以下の待遇の指摘)と関係ありません。


妻は事業主から話されながら、「自分はクビになるのかな」「辞めた方が良いのかな」と感じたようです。




もう一つ、残念なことがありました。
「中野さんの旦那さんが失礼な言い方で妻の待遇に文句を言うてきた」という件を、妻の職場の他の従業員にも話されていたということです。


妻は他従業員から「旦那さんは、なんで妻が職場に居づらくなるような事を言うんやろうね」と声をかけられたようです。
伝え聞いた従業員の方は率直な感想を言うただけかもしれませんが、妻を居づらくしているのは事業主の方ではないかと思います。


私も事業主として人事に関わりますが、個別の人事についての情報は他従業員には一切話しません。
どんなに批判を述べる従業員だったとしても、他従業員には話さないのが雇用主としての責務だと思っているからです。






今回の件、最低賃金以下の待遇を受けていたことについての問い合わせから始まっています。
相手事業所からすると言われたくない事だと思います。
私の言い方が悪くなかったとは言わないですが、それに対する批判を私ではなく妻に返すことは許せません。
また、個人間の出来事を仕事に影響させる事についても残念な事です。


私が妻の職場へ不服を申し立てた事で、妻や無関係のそらいろスタッフにまで影響を受けるということになりました。




妻は昨晩から塞ぎ込んでいます。
職場において、雇用主と労働者の関係は上下関係にあります。
だから雇用主は労働者に対して配慮が必要なのだと思います。


「うちのやり方に文句があるなら直接言ってこい。ただし、それ相応の報復は覚悟しておけよ」と言われているようにも感じ、怖いです。




今回の件、私からはこれ以上、妻の職場へ伝えることはありません。
これ以上、妻を追い込むことはできませんので。






ちなみに、最低賃金以下の待遇を受けていた時期は過去4年間を見た限り、半年間だけでした。
不足していた賃金は3400円程度です。
たかが数千円の事で、妻には大きな傷を覆わせてしまいました。


妻に対しては申し訳ないと感じています。

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最低賃金以下の待遇を指摘したら

2019-07-23 10:10:57 | 家でのこと
先日、妻の給与明細を見る事があった。
『特別手当』みたいなものが付いており、何かを聞いてみたところ・・・
「4月に時給が890円に上がったんやけど、給与計算の時に間違えて旧時給額の870円で計算していたらしく、その差額分が支払われたみたい」とのこと。
給与計算ミスはよくある事(あってはいけないが)。
私も給与計算をする立場なので状況は分かる。


気になったのは、「時給が890円に上がった時期が2019年4月」だという事。
それまでは870円だったようで・・・


京都府の最低賃金は2018年10月より882円となっているので、もしかすれば10月から3月までは最低賃金以下の給与だった可能性がある。


妻に給与明細を確認するように言うと、すでに捨てたとの事・・・
大事な物は捨てたらあかん・・・


それなら妻の職場へ問い合わせようと提案したが、妻は反対。
「そんなん言いにくい。働きづらくなるのも心配」
気持ちは分かる。
しかし、もし最低賃金以下の待遇を受けていたのなら、法律違反となります。


2018年10月時点で賃金改定をしないといけないです。
一応、労働関係法令を調べ、知り合いの社労士にも確認した上で、妻の職場へ連絡することにしました。
妻は嫌そうでしたが・・・




電話で私が伝えたのは、以下の件です。
①妻の給与明細を再度もらえないか?
②最低賃金を下回っていた時期がある可能性があるから確認したい。




相手の職場の対応は・・・
「そうきましたか」
「良いですよ、払いましょう。次の給与で支払えば良いですよね」


いや、私は確認したかっただけです。
しかし、これで最低賃金を下回っていた時期があった事は明白になりました。


しかも、私が指摘したら、すぐに返金を話すと言うことは知っていた可能性も否定できません。


その後、「うちは4月にしか給与改定をしません。10月に変更する必要があることを知らなかった」みたいな事も聞きましたが・・・
ということは、毎年10月以降は最低賃金を下回っていた可能性も出てきました。


そして、妻以外の従業員も同じ事があるのではないかと。
「あなたの奥さん以外の給与を伝える必要はないですよね」と言われ、それ以上言えませんでしたが。
「あなたの奥さんと他のスタッフでは給与額が違いますから」とも。


この言い方では、うちの妻だけ最低賃金以下の待遇を受けていたようにも取れます。
妻は9年くらい勤めています。
勤務1年程度のスタッフもおられるようですので、その方以下の待遇を受けていたのなら悲しい事実です。




とりあえず、遡って出せるだけの給与明細をもらうことにしました。




妻としては複雑な気分のようです。
私も虚しさと悲しさが残りました。


確認をして、最低賃金を下回っていたとしてもその額を請求するかどうかは考えます。
お金が欲しい訳ではないのです。


頑張って働いていた妻、仕事が楽しいと言っていた妻の労働力が適正に認められていなかった事に残念な気持ちを持っています。
相手の職場が給与計算方法を間違えていたのなら、今後は修正してもらえれば結構です。


私は敵対するつもりはありません。




「あなたの言い方はトゲがあります。自分では気付いいないようですが」とも指摘を受けました。
私はモノの言い方が悪いのは自覚しています。
しかし、この時の電話は職場で行い、周囲には人がいました。
すごく配慮したモノの言い方に心がけました。


伝えた内容以外の点で批判される事についても非常に残念でした。




今後、どういう結果になるかは分かりませんが、適正に対応していきたいと思います。

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家庭養護促進協会オリエンテーション

2019-07-10 12:55:57 | 里親活動
大阪家庭養護促進協会でのオリエンテーションでは、協会の活動についてや養子縁組の流れなどの説明を受けました。


我々夫婦の自己紹介や養子縁組を希望するに至った流れなども話しました。


この協会は子どもの幸せを第一に考えられる為、養親希望者には厳しい面もあると事前に児童相談所から聞いていましたが、厳しいことを言われるというよりは、現実の厳しさを教えて下さる感じでした。

『愛の手』に掲載されるお子さんの多くは幸せな出産を経ていない事が多いという現実。
幸せな育児を受けていない子が多いという現実。
『望まれてない子』として生まれたケース。
虐待を受けて来たケースなど。


想像はしていましたが、辛い状況下にあるお子さんが大半だという現実。
それを受け止められるかどうかがスタートラインです。


妊娠時期に喫煙されていた、または覚醒剤をされていたケース・・・
未成年者が隠れて産んだケース。


中には知的障がいの母から生まれた子も。


どんな境遇で生まれてきた子であっても受け止める覚悟があるかどうか・・・
重い話でした。




そして、私達夫婦が『愛の手』を見て望んでいた女の子の話も聞きました。
「どんな話を聞いても迎え入れよう」と事前に夫婦で決めていました。


しかし、話を聞き終わった後、即答できませんでした。
「夫婦で相談して、お返事します」と・・・


協会での面談は3~4時間あったので、夫婦共疲れてました。
「スタバで休憩しよ」と妻より提案。


難波へ出ました。
当初の予定では、帰りに難波に行って買い物をするつもりでしたが・・・


買い物気分ではなくなりました。


スタバで休憩しながら、妻と話します。
「どうやった?」


夫婦間で言葉が詰まります。


色々な話があったけど、検討課題は大きく2点でした。
実母や実兄弟の事、本人の発達状況の事。


まだ出会ってもいない子について、聞かされた情報だけで判断することの難しさ。
我々夫婦だけではなく、その子の人生も左右する大きな決断です。


何度も考えて、聞いた情報を書面にまとめて・・・


でた結論は・・・
「この子に会いたい」
夫婦一致しました。


どんな子でも、先のことは分からない。
何が起こるかなんて分からない中で子育てをされているんですよね。


普通、親は子を選べない。(子も親を選べない)
それなのに選ぼうとしている僕ら。
何てエゴなんや。


しかし、無責任に選べない。
僕らより適切な親がいるかも知れない。


でも、僕らはあの子に会いたい。


だから、僕らは迎え入れることで決断しました。
翌日、協会へ連絡しました。


これから話が前に進みます。
実際に迎え入れられるかどうかは、その子が受け入れてくれるかどうか・・・
これからが大切です。


出会う頃には2歳になっているであろう将来の我が娘。
あなたの父になれるように頑張ります。


人として試されていくのだと・・・
あなたと生きていくために。

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新しい家族のカタチを目指して

2019-07-09 12:40:24 | 里親活動



大阪家庭養護促進協会へ行きました。
「何をするところ??」と思われる方も多いかと思います。


私達夫婦も数ヶ月前まで知らなかった場所です。


特別養子縁組についての紹介や支援を受けられる団体です。
まだ不勉強なので、それだではなく幅広い活動をされているのだと思いますが・・・


ここへ足を運んだ理由は、養子を迎えたいと考えたからです。




経緯を簡単に・・・


我々夫婦は四十路を過ぎてしまいました。
昨年春までは不妊治療をしていましたが、結果は伴わず・・・


夫婦間で「もう終わりかな」という雰囲気が流れ、妊娠や子どもの話題を避けながら一年余りを過ごしました。
私は43歳になっています。


「自分の子どもに会いたかったなぁ」と思うと胸が締め付けられます。
妻が難病(SLE)になった後、妊娠が無理と言われた期間が長くありました。
30代始め頃にも養子について考えた時期がありましたが、その後、病状が良くなり妊活ができるようになったので考えなくなりました。
当時、妻も「そこまでして子どもが欲しくない」と言っていましたし。




しかし、40歳を過ぎても子どもができなくて・・・
「もう夫婦二人だけでの生活が続くのかな」と思っていました。


私は仕事で障がいがあるお子さんと接する機会があります。
そらいろを開業して8年になり、利用者のお子さんの成長を見ることができています。
他人のお子さんでも長く関わっていると愛着が湧くものです。


「一緒に暮らしていると、他人同士でも家族になれるのかな」と思うようになりました。
「他人の子を愛せるかな」と葛藤もありました。




不妊治療を終えた後、夫婦で旅行に行きました。
鹿児島、東京、加賀温泉と贅沢な旅をしましたが、私の中には満たされない何かを感じました。


「夫婦二人の生活は今まで充分楽しんだ」
妻と出会ってから20年以上になります。
この先も一緒に暮らすんですけど・・・
「次の20年は子どもと一緒に暮らしたい」
そんな思いが私の中で大きくなりました。




「やっぱり子どもを育てたい。養子を迎えたい」
妻に自分の想いを伝えたのは3月末です。


具体的に話を進める為に児童相談所へ足を運んだのは4月初め。


ちょうど『里親登録』の研修を開催する時期だった事もあり、5月に研修を受講できました。
施設実習は8月で決まりました。


行動を起こしてから数ヶ月間で話は進みました。


最初は後ろ向きだった妻も研修を受ける中で実感を持てるようになってきたようで。
実際に里親をされている方からの話を聞けたことが大きかったようです。


城陽市内でも里親をされている方がおられる事を知り、今まで知らないだけで周りには普通に暮らされていたんだなと。


里親には養子として迎えるパターンとそうでないパターンがあります。
うちは、どのタイプにするかも夫婦間で話し合いました。


私は特別養子縁組にこだわっていましたが、妻はどんな形でも良い感じでした。
「迎える子どもの年齢は??」
児童相談所へ伝える必要がありましたので考えました。


「いきなり中高生の里親は無理だなぁ・・・」
「赤ちゃんは、この歳で育てられるか・・・」
などなど、悩みました。


結果、夫婦で持っていたイメージは『2~6歳』というもの。
性別にはこだわりなく、縁がある子であれば迎えたいという気持ちです。




『愛の手』という毎日新聞に掲載されている養子を求めるお子さんの記事を取り寄せることにしました。
この養子を紹介されているのが家庭養護促進協会でした。


毎週日曜日に掲載されている養親を求めるお子さんの記事。
「可愛いなぁ」と見ながらも、実際に申し込むのには踏み切れませんでした。

顔写真と当たり障りのないエピソードだけで選択する必要があったからです。
以前受けた研修で話されていた里親さんは『愛の手』を見て、今の我が子を迎えたと話されていました。
「写真を見て、この子しかない」と夫婦二人で一致したと聞きましたが・・・
そんなことってあるかな~??


愛の手記事を見ること4~5人目・・・
気になる子がいました。
記事を見た次の日、家庭養護促進協会へ問い合わせをしました。


「この子に会いたい」
夫婦間で一致しました。
こんな事ってあるんです!


特別養子縁組を迎えるには児童相談所の研修を終えて『里親登録』を済ませていることが条件となります。
京都府で登録を進めながら、大阪家庭養護促進協会にて相談することにしました。




そして、初めての訪問です。
近鉄電車で大阪上本町へ。
初めて降りる駅、駅近くにあった協会の事務所。


ドキドキです。




夫婦二人の生活も楽しかったですが、子どもを迎えようと決めた日から毎日に彩りが加わったように感じます。
「わざわざ苦労をしなくてもいいのに」と思われる方もおられるかも知れません。
子育ての苦労は知りませんし、甘く見ているのかも知れません。


43歳からの子育てには体力的な課題もあります。
周りの若いパパさんには負けちゃいますし・・・


でも、それでも新しい家族のカタチを求めました。
たった一度の人生ですから、悔いなく生きていきたいです。


完全なる私のエゴから始まっている里親活動です。
今後、後悔する日が来るかも知れませんが、それも含めて楽しみです。


仕事中心で生きてきた私が、家族中心に生きていくことができるのでしょうか?
大好きな妻と一緒に新しい家族を作れることに幸せを感じる令和元年です。

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