uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
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Un Jour Viendra (いつの日にか)

2023-07-20 04:00:00 | 日記

Un Jour Viendra

 

いつの日にか   山川啓介 訳詞

 

どこまでも ついて行くわ

どんな事があろうと

あなたの うしろを

いいのよ 少しも辛くなんかない

待ち続けて それだけ強くなる

愛を あげるわ

 

いつの日にか あなたの胸で

眠れる日が きっとくるでしょう

だから今は 見つめたいの

まばたきさえ せずに

 

愛は教えてくれるの

あなただけが 私を

幸せにできる 人だと

 

いつの日にか 夢がすべて

かなう朝が きっとくるでしょう

そして知るの だれのために

私は 生きてきたか

 

何も言わず ついて行くわ

影のように いつでも

あなたのうしろを

あなたを 信じて

 

 

 この曲は私の好きな由紀さおりのアルバム(レコードLP版)『男のこころ 由紀さおり フランシス・レイを歌う』(1971年)のB面に収録されています。

(補足:フランシス・レイ:1960年代〜1970年代の映画音楽のフランスを代表する世界的巨匠。

代表作:『白い恋人たち』『男と女』『ある愛のうた』等多数。彼(フランシス・レイ)は当時の日本の歌姫である由紀さおりの存在を知り「男のこころ 」「恋におちないように」を彼女に贈り、それを受けて由紀さおりが記念アルバムをリリース)

それが『男のこころ 由紀さおり フランシス・レイを歌う』です。

 私はある日YouTube にアップされていたのを見つけたので、このblogで紹介します。(実はUPされてから随分年数が経過していますが悪しからず。)

 この曲は『由紀さおり公式チャンネル』に8年前にUPされた曲であるにも関わらず、私が見つけた今から約1年前のその当時、アクセス数は500ほどしかありませんでした。

 

 実は私、ズーッと昔の中学生の時にこのアルバムを購入し、その時からとても大好きで惹かれる曲でした。

 でも私が成長し今のジジイになってYouTubeでこの曲を見つけた時の感想は、由紀さおり公式チャンネルがこの曲をUPしてから8年も経過してしているにもかかわらず、アクセス数が僅か約500程しか無かったなんて・・・。とても好きな歌だったので意外に思いました。

 他の曲との比較ではなく、この曲の持つポテンシャルに対する評価が、他の人にとって思いの外低いのだなぁと、意外だったのです。

 そう、私にとってこの歌は、とても一途で純粋で美しいと感じた、このアルバムの中でも特別な歌だったので。

 

 でも実はその一途さやひたむきさ故に、他の一般の聴く人に誤解と不快な印象を与えたのかも知れません。

 実際にこの歌の歌詞に注目して見てみると、歌詞に登場するひとりの女性は一方的且つ献身的にある男性をひたすら愛し続ける様が描かれています。

 でも、これではまるでこの歌の主人公『私』は歌詩の中の『あなた』から見て立場と意識が控えめ過ぎて隷属状態と言えないか?

 これだけを見てみると、間違いなく男尊女卑のスタンスで書かれた内容としか思えない。

 だから何の先入観も持たず、素直に聴いたなら女性ならずとも、私のような無知で鈍感な男でも、この歌詞には(通常なら)強い反発と抵抗を憶えます。

 そこで私は(浅はかな私の考察)もしかして訳詞を担当した山川啓介は、原曲の作曲者のフランシス・レイ(フランシス人)と原曲の作詞者(知らないけど多分フランシス人)にはキリスト教的思考が根底にあるはずだから、詩の内容を社会的事象から熱く恋焦がれる女性の心情に置き換えても、強い信念と決意に満ちた姿勢を残す事で歌に説得力を持たせようと考えたのではないだろうか?と思いました。

 つまり西洋の敬虔なキリスト教徒にとっての神に対する接し方とその思考が、この歌には色濃く影響しているのでは?と、信者でも何でもない私は勝手に推察したのです。

 彼らの求める理想の主人公として、信徒(クリスチャン)がどんな障害があっても怯まず、ブレずに神をひたすら信じる美しい姿勢と重ねたため?

 

 「主人公の求めるものは人間の『彼』であっても、『神』であっても、どちらでも。」良い?詩を訳した山川啓介氏はそんなスタンスで書いたのでは?と推察しました。

 もしかして彼は聴き手にその判断を委ねたのかもしれない。

 もしもそうならば、誤解を恐れない挑戦的・挑むような強いメッセージだと思う。

 いずれにしても私を含む日本人には理解する事が難しい世界であり、内容だと感じました。

 

 

 でも、それでも(無知で学のない)私はこの歌に強く惹かれ、日に何度聴いても飽きないほど好きなのです。

 繰り返すがこの曲には何かに恋い焦がれ、一途に求め続ける人の強い願望を歌っている。

 それがこの曲の直感的感想。

 だから歌詞の内容を超えた人間のぶれない意思が見える。

 

 前述にも触れたが、『あなた』ってホントに人間の生身の男の事?

 そうではなくて、別の解釈として、実は『あなた』とは神の事なの?

 それとも過去や現在に存在する、世界中の抑圧された人々の抑圧や弾圧から解き放たれたいと願う切実な様々な人々の(多種多様な)自由への願望(目に見える例として、民族対立や、戦火にまみれた戦災や天災、人災。人種差別、貧困やイジメや病気が産む不平等や不条理。 もっと掘り下げれば貴方や私など、普通の人が成長期に避けては通られない思春期の悩みや、イジメ、パワハラ・モラハラ・片想いの恋心なども。)



 ごく普通の人々のささやかな願望?


 よく分からないけど、普段はいい加減で無頓着な私などが、そんなに気にしたのは何故?

 そしてこの曲の隠された本当の魅力っていったい何?

 私は無い頭で一生懸命考えました。

 その結果、私が考え抜いた結論は、この和訳された歌詞以上にこの曲には深く、重く、崇高な背景があるからではないのか?

 そうした心に疑問と引っ掛かりを抱えたまま、今日まで無為に過ごしてしてしまいましたが、重い腰をあげ最近ようやくネットで検索してみました。



 そして見つけました。多分私の推察がそれ程的外れではないと思われる論拠です。


 

 

 

       (原曲歌詞の翻訳:人工頭脳に基づく)


 

     un jour viendra où   いつか来る

 

Un jour viendra où votre travail sera une activité agréable, accomplie par choix.
自分の喜びのためにする仕事を自由に選択できる日がまもなく訪れるでしょう。
 
Un jour viendra où je ne serai plus sur cette terre.
この世に私がいなくなる日が来るだろう
 
Un jour viendra où ça ne suffira plus.
いつか、見てるだけじゃもの足りなくなるわ。
 
Un ennemi jure qu'un jour viendra où les géants reviendront sur Terre.
巨人戻り 居据わる時 戦争の報いとして
 
Un ennemi jure qu'un jour viendra où les géants reviendront sur Terre.
敵はいつか戻る事を誓い 巨人戻り 居据わる時
 
"Un jour viendra où tu penseras être en sécurité et heureuse et ta joie sera réduite en cendres dans ta bouche."
"安全と幸せを確信した時 その喜びが口の中で灰となる日が来る"
 
Un jour viendra où les gens exigeront du poisson d'élevage dans leur assiette qui a été cultivé correctement et sainement, et refuseront toute autre chose.
その日は来ます 人々気づく-いえ、求めるのです 適切に健康的に 育てられた魚が 食卓に並ぶことを それ以外はいらないということを
 
Un jour viendra où Dieu ressuscitera et rassemblera toute Sa création, du premier au dernier, et les jugera chacun en toute justice.
神はその最初のものから最後のものまでの全ての創造物を蘇らせて召集し、その全てを公正に裁くのです。
 
Un jour viendra où tu penseras être en sécurité et heureuse et ta joie se transformera en cendres dans ta bouche et tu sauras que la dette est remboursée.
その日は安全と幸福を確信した時にやってきて 喜びは口の中で灰となり、 借りは返されたと知ることになる
 
 
 


 
 
 人工頭脳による和訳なので今一つ意味が通じないけど、原曲の歌詞と和訳の歌詞では、随分内容の次元が違いますね。
 でも原詞と和訳には強固な理念とか共通の信念を感じます。
 やはりこの曲の持つ、そういう力強い意思が、私の心を惹きつけたのであろうとの結論を確認する事が出来ました。
 
 
 
この曲はMireille Mathieu という歌手のバージョンがYouTubeにUPされています。
参考までに。