日曜日に実家に行った
旦那が珍しく
「お線香をあげに行こう」と言ってくれた
お酒を止めてから、穏やかになり
父が亡くなってから
さらに 優しくなった
実家には
家中に父の気配があった
テレビ台の上に 往復はがき
洗濯機のそばに シルクの襟巻
玄関に サンダル
洗面所に 歯ブラシ メンズ白髪染め 櫛
作業ズボン
家庭菜園道具
防火用水の金魚
薬 メガネ・メモなど
亡くなる二日前の日曜日
息子と実家に行っていた
終活を初めていた父
無駄に力がある息子に
バイトを頼んだ
天井をはがれたところを、はがす
すぐそばで、父が指示出していた
新しいスーツを買ったと聞いて
私は、派手な半そでのワイシャツをプレゼントした
これが最後だとは思っていなかったので
なんとなく、昔の話をして、孫たちの話をきいた
よく覚えていない
派手なワイシャツは納棺された
先週の日曜日の実家の庭
夏野菜
内孫ちゃんたちは、キュウリ・トマト・イチゴ・ベリー系
熟しているのを見つけると、そのまま洗わずに食べてしまうので
随分気を付かって、作っていた
生生姜に味噌をつけて食べるのが大好きだった
これも豊作
小ねぎの 鉢と 百合の鉢が たくさん
仏壇ようの 百合には 当分不自由しないと、母が笑っていた
小ねぎの鉢は 二つ貰って帰った
実家、裏の公道に 昔からのおじぞうさん がいる
今のおじそうさんは、父が施主
先代のおじぞうさんは、祖父が施主
先代さんは 暴走族に 何度も投げ捨てられて 顔がなくなって
父と母で 取り替えた
祖父の前はどうだったのか、もともと誰が設置したのか
聞いていない
父に聞いておくべきだった
地域の高齢者さんの間でついたあだ名が
「ぽっくりさん」
拝むと ぽっくり いけるらしい
着飾って、色々なものがおいてあるけど
父母が買っているわけではなく
色々な人がお供えをしていく
毎月新しいベビー服を持ってきて 着替えさせている人がいる
愛称 「ぽっくりさん」 の 話を聞いて
若いころ、
母を教祖、ぽっくりさん を ご神体にして 一儲けをしようと考えた
ぽっくりまんじゅう ぽっくりお守り
よこしまな私は不適格者
これからは、母と 弟夫婦で守りをしていく
「ぽっくりさん」に助けられた」と
色々なエピソードがあるのですが、宣材になってしまうので、自粛
※ しゃちくん 記憶にないかもしれないけど 見たことあると思うよ あの道だからね
父が ぽっくり 逝けたので、旦那と二人で 久しぶりにちゃんと 拝んだ
旦那はお線香をあげて、すぐに帰った
兄弟が揃ったから みんなで 位牌を作りたい
母が言ったので
仏具屋さんに行った
母と弟で話を聞いていた
値段があってないような、仏具の世界
母は父と同じ位牌に入りたいと願い
大きめの位牌を購入した
92000円なり
「うちでは 〇〇杉を扱う 唯一のお店です」
〇〇杉を進めてくる
プラス100000円
暇な私と義妹さんは
本当かよ と 突っ込みながら
スマホで調べてみる
なんでもネットで買える時代
〇〇杉 はるかに安い
おかげで、スマホでネットするたびに
仏壇の広告が張り付くようになってしまった
一生懸命 花や猫 服 お料理の検索をするが
仏壇広告は強い
なかなか 取れない
四十九日の話し合いをして
家に戻った
父が亡くなったとき
父が戻る前に 枕花が 3かご 届いた
3つとも、不動産屋
実家には一山分
お墓・仏具・香典返しのカタログが届いていた
不動産屋の電話
私がいる間だけでも、3回電話がかかった
商機は逃してはいけないけど、未亡人になったばかりの 76歳には
キツイ
次は 「 ぼうさん 考 」
罰当たりに 戻ってきた私
いくらか 現実に戻ってきました
繰り返し 繰り返し 陰鬱なブログにお付き合いくださりありがとうございます
毎日、彼女の家猫を探している途中で地元のお地蔵さんにお参りするようになった。にころこさんから送ってもらった赤いよだれかけを着けた、Kちゃんが嫌っていたけど今では折り鶴をお供えしたりする。
4月に彼女の父親が亡くなり院号の付いた最高位の戒名を望んでお布施は100万円だったそう。
そこで見栄を張ると後々の法要のお布施がすべて高額になるのも知らずに(笑)
父の時は兄がネットで調べておいたから一番安い戒名にしてもらった。でも通夜の場で坊さんから「弔問客の人数から不釣り合いな戒名なので料金はそのままで良いから戒名の階級を上げます。」って兄が叱られたのを思い出した。
院居士は、家族の思いがこもっているので、それぞれかと思います
父は祖父に院居士をつけ、祖父は 曽祖父に院居士をつけましたが、自分は「普通」にしろと、母に伝えてあったそうです
法要だけでなく、寄付の時も
基本料金プラス 院居士1人につき10万
と、言われ、父はお寺さんに随分苦労しました
息子に苦労させてしまうことを心配していたのでしょう
私は、死んだあと、ぼうさんになりたくないので
俗名まんまいこうと思います
コメントありがとうございました
なんて書いていいかわからなかったから」コメントは控えていましたが。
わたしもたまに空き家になってしまった祖母の家にひとりで泊まりに行っています。
こんな広い家にひとりきりだったのかと未だに胸が痛いし涙が出るよ。
家のあちこちに生活していた名残があって そういうのをじっと見に行くの。
今のわたしには必要な時間になっています。
私が書くことによって、思い出して辛い思いをしているひとがいる
十分承知していながら、書かずにいられない精神状態です
ごめんなさい
父という存在を少しでも記録しておきたいからなのか
自分の気持ちを整理するためなのか
良くわからなくなってきました
おばあちゃんの家に食事を届け、お話をして、様子をみる
イブちゃんもがんばっていましたよね
イブちゃんのあの時の衝撃は計り知れず
今は、おばあちゃんのいた場所に身を置き
存在を感じ、おばあちゃんの思いを考える
その気持ちと寂しさに向き合う感じ
見えないけど、少し見えます
おばあちゃんの家の中で、たたずむイブちゃんの様子
コメントありがとうございました
進むには、まだ時間がかかりそうです
父の死 の時、
優しい時間がまるでなかった。
涙すら流れなくて、
いや、泣くもんかっ 絶対に泣かないっ
泣き顔なんか誰にも見せるものかっ
ってな具合(笑)
突然 世界が敵になっちゃって、
ただ ただ、燃えるような怒りに全身包まれていたように思うよ。
おかげさまで、15年も かかってしまった。
永い闘いだった。。。。
があこさん、ぽっくり様の画像に
ここからお祈りさせていただきます^^
届くといいな♪
私もお参りさせていただきたいです!
ブログが夏仕様になって
があこさんのお気持ちも少しづつ
落ち着かれてきているようで
本当によかったです。
なかなかまともにお悔やみも言えないような
不器用な性格ですが
私の思いを受け取っていただけて
私のほうが感動しました。
少しづつ少しづつご自分の思いを
言葉にして紡いでくださいね。
お父様にもきっと届くとおもいますから。
受け入れない代わりに、激怒してしまう
わかります
生老病苦
逆らえないことに、激怒してしまう
性格ですね
ぽっくりさん
気に入ってもらえましたか♪
なんかの事情で入院して、そこでぽっくり
逝きたいもんですが
病院の評価が下がるから、許されないだろうなぁ
このお話は、いずれネタにしょうと考えていたのですが
思わぬ展開で、公開となりました
父に会いたい
不思議とそういう感情はわかず
不在そのもを受け入れていません
一緒に住んでいないからかもしれません
父がいなくなり、一番寂しい思いをしているのは
母なので、よく見てあげたいと思います
りょうさんのブログを読んで
大分気分が落ち着いたんですよ
父は今も、家にいて、私らの危なっかしい
様子にイラついているかもしれません
コメントありがとうございました
だいぶ落ち着いたかな
いつも読んでるけど私も思い出したり辛かったりするので
コメントはなかなかうまく伝えられるかなって
お父さんの存在が大きければ大きいほど今も家に帰るのが切ないんじゃないかと思います
私は
最後の2年ホームにいたので
ホームと散歩した公園の前が通れなくて(笑)
会社にいく道なんだけど遠回りしていました
まあ 今もだけどね(笑)
残された洋服は
冷たいのか冷静に必要なものだけ残してあとは
老人施設で働く義理の姉がケアマネなので
洋服全般譲りました
ホームでおじいちゃんたちがお父さんの洋服着てくれてるのかとおもうと少し楽になります
があこちゃん
少しずつ
受け入れていけるようになるまで
少しずつだよ
応援してるからね
気持ちに寄り添っているしかできないけど
「こんなの読んだら、koumamaさん 辛いだろうな」
ずっと 申し訳ない気持ちでいっぱいでした
koumamaさんは、ご自身が本当に辛いときでも
読み手を気遣い、慎重に言葉を選び
最後は、明るく、記事を閉じるので、いつもすごいなぁ
と、思っていました
私は駄目です できません
でも、大分諦めがついてきました
受け入れていませんが、諦めることはできました
母を支えていかなくてはと思うのですが
弟夫婦には迷惑なことかもしれないので・・・
母は私と弟を下の名前で呼びますが
弟の奥さんを「ママ・ママ」と呼ぶようになりました
私の前では、親ですが
ママの前では、孫のようになってきて・・・
その方が良いのかもしれません
コメントしづらい記事にコメントしてくださり
ありがとうございました
辛い思い出を、思い出させてごめんなさい