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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・礼拝メッセージ(要約)

2013年04月02日 05時57分43秒 | インポート
・【先週の礼拝説教回想】 3月24日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 ルカの福音書19章28~44節
・説教題 主イエスは子ろばに
▼受難週
週の初めの一日、エルサレムに勝利の入城をろばの子に乗って入られました。群衆は凱旋した王が自分たちの願望、濁った野心に答えられた、本番なんだと。道に自分たちの上着をに敷き、棕櫚の枝を振って歓呼の声をだして、迎えたのでした。
主はそれの答えた形を取られました。いつしか、人々が変わり、真にそうされることを願ってのことでした。
ここでは単純な、柔和ないでたちで現れなさいました。群衆の歓呼の叫びの中を、弟子たちと民衆もついて入ったでしょう。
▼民衆はやがて十字架につけて殺すことを知っておられてました。民衆の心の中にある無知に基づく汚濁は、柔和な主の行進とは対照的でした。
▼キリストは大変な十字架を前にして動じないばかりか、ろばの上で柔和と単純さを現し、神の国の王の様子を伺わせておられます。ローマの皇帝たちなら軍馬にまたがり、将兵を並べ、捕虜を引き連れて威風堂々と現れるはずです。神の国は義と平和と喜びにあります。
ろばはこの日のために備えられたものでした。持ち主に、34節「弟子たちは、『主がお入り用なのです』というと、直にほどいて渡しております。
悲しみの道で、クレネのシモンが主イエスの十字架を身代わりに担がされています。その彼はクレネから当日はるばるエルサレムに出てきていまして、むりやりのろわしい十字架を担がされたのです。それで彼は後、キリスト者の中で栄誉を受けております。ペテロは、主を否認しますが、この時鶏がいて三度鳴いて、そう言われたことを思い出してペテロは悔い改めに導かれます。主は人や動物、時や出来事を自在に用いなさいます。
▼入城の際、雌メスの子ろばを用いなさいましたゼカリヤ9:9。ろばは人間の労役に使われ、黙々と働くことをいたします。雌の子ろばは、人を載せるには危うげなものであるはずです。これを人に置き換えたら、みなが危なっかしい、経験のないものに見られまいか。しかし、これほどの栄誉に私たちは与っているはずですが?
主の十字架の高揚は主のみが出来る独壇場です。大事な所はすべて主にまかせ、私たちは何処へなりと引き回してくださいと言わなければ、お役に立つことはできないことになりましょう。
▼十字架に人の罪をつけて滅ぼす偉大なお仕事を、柔和で確固として進まれる主の助けとなり続けましょう。