マリアン・カーリュー著 ジョン・ウエスレーの生涯PP.65、66
『彼(ウエスレーの弟)は少し良くなるとブレイという貧しい労働者の家に移されました。ブレイはイエスを信じて幸福に暮らしていました。そして行いは十分でないこと、私たちのためにイエス・キリストが十字架の上で死なれたことを信じなければならぬこと、私たちが神に祈れるのはただキリストを通してのみであること、そして私たちが天国に行く望みを持てるのは主の死によってのみであることをチャールズに説明しました。それから、ある貧しい女の人が訪れてきました。そして外のだれよりもよく分かるように話してくれたので、とうとうチャールズは自分のどこが間違っていたかを悟りました。自分の立派なこと、自分のしたすべてのことによりたのむことをしないで、こうしたことにたよるのはいっさい止めて、自分のため、また私たちのために死んでくださった救い主の愛だけによりすがることにしました。さてジョンが弟を訪ねてみると、弟が自分よりも先に救いの恵みを受けたことを知りました。それでジョンは自分も救いの確信を得るまでは落着けません。それから四日後、ある小さな集会に出席しました。そこで、主イエスだけによりたのむ時、私たちが経験する変化を説いている書物(ルターの「ローマ人への手紙序文」)を読んでいるのを聞いたときに、ジョン・ウエスレーはすべてが分かりました。そして救いの確信を得ました。』
『彼(ウエスレーの弟)は少し良くなるとブレイという貧しい労働者の家に移されました。ブレイはイエスを信じて幸福に暮らしていました。そして行いは十分でないこと、私たちのためにイエス・キリストが十字架の上で死なれたことを信じなければならぬこと、私たちが神に祈れるのはただキリストを通してのみであること、そして私たちが天国に行く望みを持てるのは主の死によってのみであることをチャールズに説明しました。それから、ある貧しい女の人が訪れてきました。そして外のだれよりもよく分かるように話してくれたので、とうとうチャールズは自分のどこが間違っていたかを悟りました。自分の立派なこと、自分のしたすべてのことによりたのむことをしないで、こうしたことにたよるのはいっさい止めて、自分のため、また私たちのために死んでくださった救い主の愛だけによりすがることにしました。さてジョンが弟を訪ねてみると、弟が自分よりも先に救いの恵みを受けたことを知りました。それでジョンは自分も救いの確信を得るまでは落着けません。それから四日後、ある小さな集会に出席しました。そこで、主イエスだけによりたのむ時、私たちが経験する変化を説いている書物(ルターの「ローマ人への手紙序文」)を読んでいるのを聞いたときに、ジョン・ウエスレーはすべてが分かりました。そして救いの確信を得ました。』