「神を見出した科学者たち」PP.66,67いのちのことば社出版より
『物理学研究で似たような例があります。ニュートリノについて実験したのですが、この素粒子は地球の一方の側から内部を通過して反対側へ出てくる奇妙な粒子です。ニュートリノを検出する正しい設備がなければ、それがあるとは決して分からないでしょう。事実50年前にはその存在をだれも知らなかったのです。今日でも、検出するには重さ300トンの「フラッシュ検出器」が必要です。ビームの中の数兆個のニュートリノのうち、数個が検出器に衝突します。検出器は実験用に準備された数万本のネオン管でできていて、高い電力がかかり、白熱寸前の状態にあります。電荷粒子が1本の管にぶつかると、管は白熱して通過を報告し、それがどこで起きたのかを正確に告げます。ニュートリノが五官で捕えられないからと言って、それが存在しないということにはなりません。…同じように、生まれながらの心と五官を用いては、神の真理の現実性を発見できません。私たちが自分の感覚によって神に真理を発見してほしいとは望んでおられないと思います。そうなれば、私たちは真理を自分の発見だと主張するでしょう。そして、その美しさはすべて破壊されるでしょう。神は私たちを愛しておられるので、ご自身の真理を贈り物として与えようとしておられます。』
『物理学研究で似たような例があります。ニュートリノについて実験したのですが、この素粒子は地球の一方の側から内部を通過して反対側へ出てくる奇妙な粒子です。ニュートリノを検出する正しい設備がなければ、それがあるとは決して分からないでしょう。事実50年前にはその存在をだれも知らなかったのです。今日でも、検出するには重さ300トンの「フラッシュ検出器」が必要です。ビームの中の数兆個のニュートリノのうち、数個が検出器に衝突します。検出器は実験用に準備された数万本のネオン管でできていて、高い電力がかかり、白熱寸前の状態にあります。電荷粒子が1本の管にぶつかると、管は白熱して通過を報告し、それがどこで起きたのかを正確に告げます。ニュートリノが五官で捕えられないからと言って、それが存在しないということにはなりません。…同じように、生まれながらの心と五官を用いては、神の真理の現実性を発見できません。私たちが自分の感覚によって神に真理を発見してほしいとは望んでおられないと思います。そうなれば、私たちは真理を自分の発見だと主張するでしょう。そして、その美しさはすべて破壊されるでしょう。神は私たちを愛しておられるので、ご自身の真理を贈り物として与えようとしておられます。』