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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・礼拝説教(要約)

2015年10月05日 05時48分32秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 9月27日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 Ⅰペテロ3章13~17節
・説教題  弁明の用意
▼人々に見捨てられて、接して、交わって生きています。無言で、イエス様に似ていると受けとめられたら幸いですね。しかし、試されるのは付き合ってみてのことでしょう。
・13節、基本、それは善に熱心であることでしょう。「もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。」つまり善には善を、悪には善をとなります。14節「たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。」と使徒ペテロは語る。主イエスに、ペテロも倣ってそうしているから、私たちも倣ってそうしましょう。原始のクリスチャンは、だんだん難癖や非難、迫害を経験し始めた時代でそうしたのだから。本物は、何の世界でも、何時の時代でも反抗や誤解や中傷を受けております。
▼私たちクリスチャンはただし、例えどうであろうと、尋ねられたら、弁明する用意をしていなければなりません。
「家は仏教の何宗であるから、だめだとか言うように」。そのときは、16~17節「ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです。」語りました。
▼人々の善と悪との分け隔てなしに。
悪の方はこの手紙の4:3、4、5「あなたがたは、異邦人たちがしたいと思っていることを行ない、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です。彼らは、あなたがたが自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、また悪口を言います。 彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。」
 他の例、ガラテヤ書5:22、23、24「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」十字架はそれらを赦しきよめる恵みです。
▼愛と恵みの信仰は居ながらにして弁明の用意となるのではないでしょうか。