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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・礼拝説教(要約)

2015年10月19日 04時11分55秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 10月11日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 Ⅰペテロ4章1~6節
・説教題  異邦人の欲望
▼肉体の苦しみを通して主イエス・キリストは人の罪を十字架で、身代りに死んでくださった。1節中、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装することと、肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました、とあります。2節、こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになることだとしているのです。3節、キリスト者に対して、異邦人たちがしたいと思っていることは何かといえば3節の漢字で羅列されていることは、かつてあなたがたもそうであったことで「好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝など」だというのです。これはこうしたことを避け、禁じられているはずの選民、ユダヤ人も同じであったことが旧約聖書の大部分に記され、禁じられていることから、キリストに行かない人はすべて個々に書かれている罪汚れの中に生きている、救われている、守られているということになりましょう。しかし、立派に戒めを守り、義とされた人々もいたことも明らかです。
▼最後に「偶像礼拝などにふけった」と弱さ、汚れと欲情などは、神の本来の霊に生きませんと、人はその虜になってしまうことです。
 罪と汚れと神の裁きとを恐れ、生まれ変わった霊と心と身体の軸に神の霊を据えておきませんと、人は、偶像礼拝者になっていることの汚れと愚かさに囲っていることになるわけです。清い愛、情緒、交わり、集いなどはこれら正反対の、神と人とに喜ばれ、喜ばしいものであることが分かります。
 心と生活の軸にこのきよい霊を宿すこと、キリストにとって代わっていただくことが大切です。キリスト者も、悪い霊の誘惑にかかることが多いでしょう。清いゆえに悪霊は誘いたがっているからです。
 霊の家族同士でもわきまえをもつ必要があります。しかし、表面的、体裁ではなく、信仰に愛と情緒を豊かにたたえた器にならねばなりません。彼らが求めているもの、本物が私たちの間にあるならば、神が共にいますと人々は集まることでしょう。他を期待する前に自らを豊かにされていこうではありませんか。人は本物を求めていないでしょうか。
▼異邦人の欲望ではなくきよい神の愛と信仰と希望をまといましょう。