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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・礼拝説教(要約)

2015年10月12日 05時22分21秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 10月4日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 Ⅰペテロ3章18~21節
・説教題  捕われた霊へ キリストが
▼ペテロ第一の手紙3章18~19節
「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。 その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行って」、「みことば」を語られたのです。
20、22節
「昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。」
▼私たちは、この人間の不信仰な世にあって、よくぞ、主イエスの救いの「箱舟」に乗ったか、驚嘆に値しましょう。その当時の唯一の救いの箱舟、ノアの箱舟に入って、全地を覆った大洪水から救われたのはノアの家族8人だけ、新約聖書の私たちの人数は数え難いほどですが、意義ははるかに高いと言えましょう。
 主イエスは十字架で人の身代わりに死んでくださり、ノアの時代に死に渡された牢に捕らわれている霊たちに行き、みことばを語られたと記されています。
▼19節の「みことば」の内容は諸説があります。手紙の前後から解して、救いのための罪の悔い改めを語られたと取るのが自然だと思われます。Ⅱペテロ3:9後半「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」とあります。これは今の世の人に限定されず、その世その世の人々にもそうであられた、と解してよろしいからです。ただ、最後の審判の時、神が個々人へ与えておられる良心に従い、人のしたことに従って神は裁かれるでしょう。(ローマ2:14、15)キリストが伝えられていない時代や境遇にあった人でも、その生き方によって、救われることの可能性はあると言えまいか。キリストは十字架上で、右の、自分の罪でかけられ、死んだと同然の罪人を、その悔悟のことばで救いを約束されました。ノアの時代の霊たちに滅びのことばを告げるための「ことば」とは到底思われません。代価を払った御子による黄泉からの、悔い改めのチャンスのことでなかろうか。
▼生きている人も、死んでいる人にも主イエスは生かし、或いは裁く権威を父の神から授かっておられることを覚えたい。