7月4日 火曜日 九紫 先負
3泊4日の帰省旅行兼兄弟旅行から新幹線を一本早く指定を取り直して
16時前に無事に帰宅出来ました
今朝は4時過ぎに起床して私の遊び場だった徒歩5分の海浜公園へと
足を運びました
海が眺められる私のお気に入りの指定席で朝の缶コーヒータイム
今朝は北寄りに雲が多く下北半島も津軽半島も見られませんでした
小高い山の向こうから陸奥湾に向かって日の出
海に見えたのは 日の出の光≒日の出の道
2年前に日立の海で見て以来で故郷の海では暫く見ていませんでした
海面には海鵜が朝食の小魚捕り 口に咥えた暴れる小魚を制御して飲み込んで
いる姿も見られます
私の前後をスズメが飛び抜けてエサを与えてくれる男性を待っていました
野良猫にエサを与えるのは禁止ですがスズメは良いのでしょうか?
お世辞にも上品と言えない鳴き声で鴨も姿を見せてくれました
ハトも集団で飛び回っていますがカモメの姿は見られませんでした
この公園は全国的にみても石碑と銅像が多い公園だそうです
未だ開いていない蓮池を通り過ぎると競輪場の跡地があります
今は多目的広場として市民に開放されています
400mバンクで観客席・施設などを広場にしたので観客席付の陸上競技場と
同じくらいの広さで一周1200歩ありました
5時半頃にゴム動力のライトプレーン愛好会が楽しんでいます
全て手作りで軽さと耐久性のバランスが難しと教わりました
子供の頃に父親とたまに出かけた私の遊び場の一つでした
向かいには市営球場があります
そこには日本のプロ野球史上の初の完全試合達成球場の石碑があります
これはちょっと訂正しておきますが当時の球場は青森市の海沿いの
西北 現在の青函フェリー埠頭の辺りにあったようです
現在の球場は戦前には太宰治が通学した旧制青森中学校でした
この球場の思い出は かつて夏の甲子園を沸かせた三沢高校の
太田幸司さん 決勝戦は延長18回で引き分けで翌日の再試合で
松山商業に破れて準優勝
白系ロシア系の母親似で色白のイケメン選手
一躍全国区となりファンレターは 青森県 太田司様 で届いた
程の人気者となりました
*私と同年代で高校野球ファンなら記憶しているでしょうか
卒業後は近鉄バッファローズに入団しました
この三沢高校と県予選の順々決勝で対戦が決まり学校の計らいで
明日は授業なし 全校生徒は市営球場に集合となり在校生・卒業生等で
数千人が一塁側スタンドを埋め尽くしました
結果は 確か5-2で負けましたがあの太田幸司から2点を取った
ことで満足したことを覚えています *女生徒は太田幸司ファン?
6時半から有志で運営されているラジオ体操に参加
かつては三グループ+αで賑わっていましたが現在は一グループ
のみで今朝は17人 少し離れて楽しんでいる人が8名
第一は完全にマスターできましたが第二はかなり怪しいままで
今回は2回参加させてもらいました
青函フェリーが函館に向かって出港しました
速度は18ノット程度 時速換算で約33㎞/h
津軽海峡を抜けて4時間弱で函館港に到着します
船体の横から船尾が見えて水平線の手前まで見送って帰宅 朝飯
10時半に追い出されるように駅に向かいました
ネブタ団地 通称 ラッセランドでネブタを見学して海を見ながら
姉と妹が用意してくれた昼食 海風が心地よく美味しかったです
帰りの新幹線は一本早いのに変更して帰宅
仙台までは乗車率50程度 仙台で満席になりました
これで今年の帰省旅行兼兄弟旅行は終わりました
姉と妹は11月に沖縄旅行を計画しているようです
本島ではなく先島諸島の島巡りだそうです
女は弱し されど母は強し さらにオバサンは逞しく好奇心が強い
羞恥心 どこぞに忘れて きたのかな
オバサンも 一人でいると 大人しい
旅行中は楽しいですが帰宅すると物寂しさとけだるさを感じます
明日から現実に戻ります
善知鳥